自らつくる、広島までの道のり 幅允孝

2014.8.5 18:30

 【本の話をしよう】

 広島の平和記念資料館に、毎年あたらしく遺留品が寄贈されていることを知っていますか? 僕は知らなかった。知ろうとする意志も少なかったというのが正直なところかもしれない。

 原爆の投下から70年近くがたち、その記憶の風化を嘆いたり、一方で当時の記録を何とか現代にもとどめていこうとする風潮もあるのは知っている。けれど、1976年に愛知県で生まれ、94年から東京で暮らす僕は、広島という地と自分の間に、実際的な結び目をみつけられていない。頭の中で「知る」というのは簡単だ。本を読んだり、インターネット空間を幾許(いくばく)の時間、浮遊すればよい。だが、僕は自分の中に広島が血肉化している感覚がまだない。

 苦痛知らしめる遺留品

 日本を代表する写真家の石内都がこのほど刊行した『From ひろしま』(1)は、平和記念資料館に集まる遺留品を独特の感性でとらえ、撮影したものだ。

 その写真集には、例えば、こんなものが写っている。元はまっ白なコットンだったと思われるセーラー服。茶色く変色し、燃えるというよりも熱に炙られるということの苦痛を知らしめる。戦時中に似つかわしくないほど華やかでかわいらしい小さな花柄のワンピースは、その朝、服に袖を通した少女の胸の高鳴りが聞こえてくるようだ。ああ、つらい。そんなものからは目を背けていたい。と、この記事を読む誰もが思うのだろう。だが、それを凝視することでしか近づけない広島が、確かにあるのだ。

 穴だらけの防空頭巾、金属部分が酸化してしまった指輪、入れ歯の一部、破れた靴下、日本人形、炭化したせっけんなど、さまざまな遺留品を撮り続けた石内。いま降り注ぐ光と対話し、遺留品の呼吸に耳を澄ましながら、接写や俯瞰(ふかん)を織り交ぜ、それらを身につけていた、見知らぬ誰かに肉薄したいという純粋な願いが伝わってくるような写真たち。そして、写真作品になることによって、重苦しい呪縛から解き放たれ、浄化してゆく物たち。

 刊行後も撮影

 石内は7年間、この広島での撮影を続けている。年を追うごとに少なくなる寄贈遺留品を丁寧に撮っている。そもそもは2008年に出版された『ひろしま』(2)という写真集のプロジェクトで始まった撮影だったが、その本が刊行された後も彼女は広島へ通い撮影することをやめようとしなかったのだという。彼女は、自身の中で血肉化してゆく広島との結び目を日に日に実感することができたのかもしれない。遺った物ものを凝視することでできた結節点は、強く固いものだったのだ。

 群馬で生まれ、横須賀で育った石内は、あとがきで「私にとって写真を撮るというアプローチがなければ教科書的な知識で終わっていたはずだ。」と広島のことを語っている。だが、横須賀という米軍基地の街にうごめく人々や闇、つまり「街の傷跡」を撮ることから写真家人生をスタートさせた彼女が、30年の歳月を費やして「広島の傷跡」にたどり着いたことが「ひとつの道筋」だったと、今なら彼女は言い切れる。

 凝視することから

 広島に仕事がなければ、広島との結び目ができない。なんていうのはばかげた話だ。広島人の彼女ができればとか、辞令で広島異動になれば、なんていっているうちも、ちょっと違う。多分、僕たちは原爆の痛みに触れる機会が今までの人生でもたくさんあったのだろう。だが、自然と目を背ける習慣にも飼いならされてしまった。だからこそ、まずはそんな自分に自覚的でいたい。そして、教科書的なステレオタイプではなく、自身の五感で広島を感じ、広島に自ら歩み寄りながら、痛みに対する耐性を少しずつ獲得してゆくほかない。

 幸運にも、僕の目の前にはこの写真集『From ひろしま』がある。前作の「ひろしま」シリーズに比べてずいぶん大きな版型で、重みもあり、印刷の精度も見事なものだ。人がなぜ写真集を買うのか?という疑問に正解はないと思うけど、少なくともこの『From ひろしま』に関していえば、「祈りのため」だと僕は答えられる。そして、広島にあなたが近づいてゆくための、小さくとも確実な第一歩になるともいえる。まずはページをひらいて、凝視することから始まるのだ。

 ■はば・よしたか BACH(バッハ)代表。ブックディレクター。人と本がもうすこしうまく出会えるよう、さまざまな場所で本の提案をしている。

 (1)前作に新たな写真を加え、上製本になり写真再現性も高まった。衣服を中心とした命の痕跡たちが、ページをめくる手を止めさせる。巻末には小説家・周防柳が寄せたテキスト「水色のワンピース」も収録。ものとしてのたたずまいがよい。求龍堂、8640円。

 (2)ひろしまと石内の邂逅(かいこう)はここから始まった。石内は遺留品の詳細な資料には目を通さず、今目の前にあるモノと対峙しながらシャッターを切った。過去の物語は必要ないと語る彼女が写し撮った写真には、遺留品たちの鮮烈な「いま」が宿る。集英社、1944円。

 ■中学生の時に被爆するも、それについて何も語らなかった周防の父親。彼をモデルに据え、創作という形で1945(昭和20)年の8月に舞い戻る。惨劇と淡い恋のコントラストは、痛切に胸を打つ。集英社、1512円。

 【ガイド】

 7月9日(土)午後5時から写真家・石内都さんと作家・梯久美子さんのトークイベントを開催。<会場>西武池袋本店別館9階池袋コミュニティ・カレッジ 28番教室。<参加チケット>1000円(税込)。<チケット販売場所>西武池袋本店書籍館地下1階リブロリファレンスカウンター。問い合わせは、リブロ池袋本店(電)03・5949・2910

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