「地産地読」という新しい小説のかたち 幅允孝

2014.10.1 18:15

 【本の話をしよう】

 「地産地読」の小説といえばよいのだろうか。兵庫県豊岡市にある城崎温泉で、ユニークな本をつくるプロジェクトが動き始めた。

 そもそもことの発端は、兵庫県豊岡市の中貝宗治市長のこんな想いにあった。「文学の町 城崎をもういちど復活させたい」。多くの地方自治体がそうであるように、観光を含めた新しい交流人口を増やすことは、過疎化や高齢化などの問題の深刻化を都市部よりも早く迎える地方にとって、大命題ともいえる課題となっている。では、何をもって人を呼ぶのかというと、昔から答えは自分が立っている地べたの下にあるものだと決まっている。

 文士癒やした温泉街

 城崎の町の磁場には、そぞろ歩きを楽しむ温泉街があった。そして、そのお湯はずっと永い間、文士たちの肩こりやら腰痛やら、精神的なもやもやを晴らす役割を果たしてきた。

 関西に住む人にとっては11月に解禁される松葉ガニの城崎温泉として知られるが、古くはもの書きたちの療養する温泉場として、この小さな町には多くの文学者たちが立ち寄った痕跡が残っている。

 もっとも有名なのは、町の名が作品にもなった志賀直哉の『城の崎にて』。だが、他にも与謝野鉄幹・晶子夫妻や島崎藤村、武者小路実篤、有島武郎などなど、来湯の事実ならざくざく出てくる。司馬遼太郎も1963年に『竜馬がゆく』の取材のため、桂小五郎が隠遁していたという「つたや」旅館に宿泊したらしい。

 近代文学の先人たちがこの温泉町に来ていた1920~30年頃は、観光という言葉自体は存在したものの、今でいうインバウンド誘致の意味合いが強かったらしい。実際、大衆の観光旅行が日常化し広がったのは1960年以降だから、当時の文学者たちは純粋に湯治のためや、執筆環境の変化のため、もしくは編集者たちの締め切りの追い立てや、その他の煩わしいことから逃亡するため、はるか城崎温泉まで足を運んでいたようだ。わざわざ、ようこそいらっしゃいました。

 ちなみに志賀直哉も相撲見物の帰りに山手線の電車にひかれ、その療養のために城崎温泉を訪れたようだ。その温泉街で偶然目にした蜂、ネズミ、イモリの小さな3つの生き物の死。しかもそのうちのひとつは、小説家が石を投げ、偶然にも奪ってしまった命だ。そんなささやかな死と、事故にあっても生きている自分の不思議を一緒くたに混ざりあわせた感触が、『城の崎にて』という12ページばかり(新潮文庫)の名作短編を生み出したのだろう。

 作家招き入れ

 だが、話を元に戻していくと、この1917年に書かれた作品ばかりを相手の胸元に押しつけても、なかなか読者になってくれる人は多くない。観光資源にも、なりにくい。当時と違って最近は、人が本を読まない理由はだいたい1000通りくらい準備されている。多忙、老眼、本のタイトル過多…、などなど全て挙げるのはやめておくが、とにかく人が本から離れてしまっている現状では、本が人の生活や動きについていかなくてはならない。

 そこで、城崎の町から生まれる新しい物語をつくろうと考えた。城崎の小説も現代版にアップデートしなければというわけだ。タフな現代を生きる作家を城崎温泉に招き、その経験を物語にしてもらうという「アーティスト・イン・レジデンス」ならぬ、「作家・イン・旅館」のプロジェクトを開始させたのだ。

 白羽の矢を立てた書き手は、万城目学。代表作をいくつも持つ人気小説家は関西の磁場を物語の中に取り込むのがうまい。『鴨川ホルモー』で京都、『鹿男あをによし』で奈良、『プリンセス・トヨトミ』で大阪、『偉大なる、しゅららぼん』で滋賀。

 だが、なぜか兵庫県の物語だけはいまだ書いていないではないか。しかも、僕は見つけてしまったのだ。ある雑誌で「後世に残したいクラシックス」として万城目が志賀直哉の『清兵衛と瓢箪』をお薦めしていたのを。ぱっと見たところ、似ても似つかぬ志賀と万城目ワールドだが、その2人の書き手の間には何らかの架け橋がかかる直感もあった。だから、昨年の冬と今年の春の2度、志賀直哉が実際に逗留した城崎温泉にある三木屋旅館の26号室に寝泊まりしてもらい、ゆるりと町を散策し、お湯に浸かりながら新しい城崎の物語を構想してもらったのだ。

 城崎だけで販売

 そんな風にしてできあがった短編小説が万城目学の『城崎裁判』(1)というわけだ。あまり多くを語る気はないが、少しだけあらすじに触れておくと、投石で殺された先祖の無念を晴らそうと、イモリの化け物が城崎を訪れた小説家の過失を問う、といったところか。世にも奇妙で愉快な裁判ものは、まさに万城目学だからこそ描ける世界。しかも、ちゃんと志賀直哉の物語との接続しているではないか。見事に先人の物語を組み込みながら、現代の城崎温泉の描写も細やか。町のガイドとしても愉しめる仕上がりになっている。

 しかも、この本がユニークな点は、城崎の町でしか買えないところにもある。冒頭でも書いた、地産地消というか、「地産地読」小説というわけだ。都心の大手出版社でつくるのではなく、旅館の若旦那衆が中心になってつくったNPO法人「本と温泉」から出版されたこの本は、あえて全国流通させず、城崎の町のお土産屋や旅館、外湯のみで販売しているのだ。なるだけたくさん刷り、たくさん売り、たくさん読まれることが本の正義だと信じられてきたが、城崎の磁場だからこそ味わってもらえる読書体験を提案しようとする斬新な試みだ。

 だからこそ、この本は防水になっている。そう、温泉街ですもの。城崎は浴衣を着てそぞろ歩きをしながら湯巡りをするのが有名な町だから、外湯に浸かりながら読んでもらおうというわけなのだ。アートディレクターの長嶋りかこが手掛けた驚きの装丁は、表紙がタオル地、というかタオルでできている。そして、本文用紙は水をはじくストーンペーパーを使用。かつて見たこともないような1冊が誕生した。風呂場で読んで、体も洗える本なんて聞いたことがない。

 たどりついた外湯でシャンプーやタオルやコーヒー牛乳を買うように、「万城目学の新作を一丁」なんて、番頭さんに言付けても、しっかりと『城崎裁判』はあなたに差し出される。なんとも、乙ではないか。町の磁場に寄り添った小説『城崎裁判』。読み手が物語を味わう状況までつくり出そうとするこの新しい小説のかたちをみたら、文学の先人たちは何というのだろうか?(ブックディレクター 幅允孝/SANKEI EXPRESS)

 ■はば・よしたか BACH(バッハ)代表。ブックディレクター。人と本がもうすこしうまく出会えるよう、さまざまな場所で本の提案をしている。

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