冒険者を駆り立てた欲求不満と好奇心 「世界収集家」著者 イリヤ・トロヤノフさん

2015.12.20 13:30

 【本の話をしよう】

 ベルリン文学賞など数多くの賞を受賞してきた世界的作家、イリヤ・トロヤノフさん(50)の代表作『世界収集家』。原著の刊行から9年を経て、このたび日本語訳が出版された。「千夜一夜物語」の翻訳者として知られる大英帝国の冒険家、リチャード・バートンの生涯をモチーフに、インド、アラビア、アフリカと3つの文明を一冊に収めた。

 3つの文化の「時間」体現

 ライプツィヒ・ブックフェア賞を受賞するなど、国際的に高い評価を受けた本書。現在約30カ国で翻訳されている。「この本は世界を旅しています。ある国ではとても売れたし、別の国では大学で研究されたりもする。国によって受け取り方がさまざまで、とても面白い。日本でどのような読まれ方をするのか楽しみです」

 リチャード・バートンとの出会いは10歳のとき。両親から冒険家の本をプレゼントされた。「アラビア服をまとったバートンは、本の登場人物の中でただ一人、ヨーロッパ人に見えなかった。彼は私の中でビッグヒーローになりました」

 本書では、バートンの生涯を虚構を交えながら3部構成でつづる。第1部ではインドに赴任した大英帝国の軍人、リチャード・バートンの若き日が描かれる。語学の天才であるバートンは、貪欲にさまざまな言語を学んでいく。転属先のシンド州ではイスラム教に傾倒し、スパイ活動に身を投じる。

 第2部では、バートンはインド人イスラム教徒に変装して、出身も身分も隠して、メッカ巡礼を達成するまでを。第3部では、イギリス人探検家とともにナイル川の源流を探す旅の過程を描く。

 「バートンを駆り立てたのは、帝国主義的な政治に対するフラストレーションと膨大な好奇心。毎朝、目を覚ますと、新しいものを見たいと思うタイプです」

 特徴的なのは、いずれもバートン本人の視点と交互して、インド人召使いや道案内などによって語られることだ。「外からの目線ではなく、『地元の人間』が語るというアイデアを思いついたときから、一気に面白くなりました。もちろん、彼らの社会的階層もバックグラウンドもそれぞれ違う。困難な作業ではありましたが、私は小説を書くことは、不可能に挑戦することだと思っています。限界を超えることが、私の原動力なのです」

 それぞれの部には、3つの文化の「時間」を体現させた。「インドでは『輪廻(りんね)』を表現するため、円環構造を取り入れました。イスラムは現代と同じ時系列的な捉えかたを。アフリカでは、時間は断片的に描かれます」

 経験しなければ描けない

 本書の執筆にあたって、徹底した取材を試みた。バートンの足跡をたどってインドに暮らし、アフリカでは当時のバートンと同じ速度を体感するため、徒歩で1500キロを旅した。「作家には2種類います。経験しなくても描ける頭の作家と、経験しなければ描けない体の作家。私は後者で、調査に執着するタイプです。19世紀をどう描写するか。当時のテンポを感じるには、歩かなければならないと思いました。乾きで死にそうになる状況も体験しました。そのような状況を描くには、身体的に的確かが重要になる。強い経験を持つことで、強い文学を持てるのです」

 ブルガリア系ドイツ人で、日常会話レベルでは7カ国語を話す。「他の言語に身を投じることで、まるで地震にでもあったかのように足元が揺らぎます。言いたいことも満足に言えないし。でも、そういう状況に自らを置くことで、常に学びがある」

 現在は五輪の全競技種目を、訪れた国で経験するというプロジェクトに取り組んでいる。来日中は柔道に挑戦した。「冒険者だって? 自分では普通のつもりなんだけれどね(笑)」。不可能を可能に。作家の冒険は続く。(塩塚夢、写真も/SANKEI EXPRESS)

 ■Ilija Trojanow 1965年、ブルガリア・ソフィア生まれ。71年に政治亡命を果たした両親とともに、ドイツに移住。父の仕事の都合で少年時代をケニアで過ごす。ミュンヘン大学を卒業後、89年にアフリカ文学専門の出版社を興す。96年に初の長編小説を発表。2006年に発表した本書は、ライプツィヒ・ブックフェア賞を受賞するなど高い評価を受けた。

「世界収集家」(イリヤ・トロヤノフ著、浅井晶子訳/早川書房、3780円)

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