副官はシム氏の敵前逃亡を知っていて反対したが、新任の連隊長は1939年の日本軍のノモンハンの戦いを例に出し、肉迫攻撃で戦車を破壊することは不可能ではないとしたうえで、「息子を失ったのだから勲章くらい渡してやれ」と怒鳴って反論を封じた。こうしてシム氏に1951年10月「太極武功勲章」が授与された。
ここまでなら、「うそも方便」と言えなくもないのだが、後に国防部の役人が軍の記録を整理中に、シム氏の受章理由を見て「すごい英雄を発見した」と雑誌に紹介。もはや誰も「嘘でした」とは言い出せなくなってしまった。
イデ氏は当時の真相を知る関係者と話し合い「シム氏の両親が亡くなったあとで本当のことを話そう」と約束したが、シム氏の母は2005年に100歳で死去。その時、軍側の関係者はイデ氏を除く全員が死去していた。「最終的には私に責任がある」として、イデ氏は「事実」を打ち明けたというのだ。