イタリアの人と話していると、イタリアはレオナルド・ダ・ヴィンチの末裔の国であることを誇りに思い強調する人が多い。一方、それを聞いた日本の人は、「ダ・ヴィンチは偉いけれど、今の時代の君が偉いわけではない」と揶揄しやすい。
4月16日から始まったミラノ王宮で開催されている「レオナルド・ダ・ヴィンチ」展に出かけた。世界中から人が訪れる万博が5月1日から開催されたミラノでダ・ヴィンチ展を企画するところをみると、やはり世界に一番誇りたいイタリア人はダ・ヴィンチなのだろうと想像できる。
2時間半ほどで会場をそれなりに丁寧に歩いたつもりだが、それでも見尽くした感がない。2時間半では不足だ。7月19日までの会期中、また何度か出かけようと思った。
今回、僕が気をつけたのはダ・ヴィンチの名前を形容する「天才」という言葉を頭の中から追い払って作品を見ることだった。展覧会ポスターでも「天才が戻ってくる」とのキャッチフレーズを使っているが、どんな分野の作品にせよ、「天才」を前提に接して得るものは少ない。
友人や隣人の作品くらいに思って立ち向かわないとつまらない。「天才」などという言葉に惑わされると、見るべきものも見えてこない。
そうして鑑賞した結果、王宮から外に出てぼくは一つのことを考え始めた。日本の経営者が戦国武将や幕末の志士ばかりをモデルに考えるのだろう、と。モデルにする文化人の先祖はいないのか、と。