結局、地上げは完了せず、一帯は未買収の土地が虫食い状態で残り、民家が数軒とどまった。このために道路をつぶすことができず、大規模な開発による有効活用の道は閉ざされたのだ。
「超一等地」出現
今回の“史上最大”の地上げが行われようとした大阪・ミナミに目を転じる。
大阪を拠点にする不動産ブローカーは「ミナミは土地の権利関係が複雑な上、大型開発がなかったことから、これまで地上げは目立たなかったが…」と語る。
関係者によると、大阪市が19年、精華小学校跡地の売却を決めると、大阪の複数のグループが満を持して21年ごろから隣接地の地上げに動きだした。跡地はほぼ長方形の好形状で面積は約4200平方メートル。繁華街の中心に広大な「超一等地」が登場したのだから無理もない。
地上げ資金は、折からのアベノミクスと金融緩和政策によるカネ余りで、十数億円を気前よく出そうとする金主が複数現れたという。