■エリートは三島由紀夫の警告と向き合え
作家、三島由紀夫が東京・市ケ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺してから45年たった。三島はその4カ月前に産経新聞に寄稿し、「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」と警告した。
資本主義経済では、どの国でも、どの時代でも企業の金もうけ動機が幅を利かせ、企業人はニュートラルで抜け目がないのが普通だから、戦後日本だけがそうだとは言えない。それでも、経済の思想というものは別である。
経済思想とは、国家の経済を引っ張っていくエリートが主として担う。英国のアダム・スミスは経済学を道徳の上に築き、J・M・ケインズは経済政策と経済思想は上流知識者の役割だと自負した。まずは自国民を富ませる。他国から不当な手段で富を収奪されることを防ぐと同時に他国の経済発展に貢献するという考え方である。
伝統的な階級制度を排除した日本の場合、明治維新以降、政官財学の各界に満遍なく経済思想を持つエリートが登場してきた。その流れが途絶えるとき、三島の予言にある「からっぽの極東の一経済大国」にすら、とどまるのが危うくなるだろう。
民間では、経団連という財界エリート組織は個別企業の利害を超越した総資本、すなわち政府と並ぶ国家の司令塔のはずである。法人税減税を例にとろう。国内投資や賃金・雇用を通じて日本経済再生にどう貢献するかは、政府ではなく民間の役割だ。企業の利益動機を超えた思想があれば、具体的なプログラムが自ずと出てくるはずだ。