嵐に怯まず前進する人々とともに 今年も激動の欧州で  (1/3ページ)

 あけましておめでとうございます。

 1989年11月3日、翌春からのぼくのイタリア生活が決まり、偶然にも、その6日後にベルリンの壁が崩壊しました。

 1990年8月、東欧の旅に出ました。ミュンヘンを起点にウィーンを通過してハンガリーに入ります。当時のチェコスロバキアと東ドイツを走り回り、ドイツ統合を2か月後に控えたベルリンに到達。

 チェコスロバキアのブラチスラヴァのレストランでは、「材料がないのでメニューの殆どは作れません」と言われ、冷たいハムとチーズを食べるしかありません。森の入口には軍関係者以外は立ち入り禁止、と書かれた看板がそこかしこに立ち、鉄条網が張り巡らされていました。 

こちらが東欧事情に疎い外国人と見るや、警察官は何かと罰金をふんだくろうとするありさまです。嫌な目にずいぶんとあいましたが、実のところ主だった都市に食料不足はなく、西側世界に近いブタペストはもとより、プラハ近郊やドレスデンでも美味しい料理を堪能することができました。

 食事もさることながら、無鉛ガソリンの供給体制が思いのほか整っていたのには、胸をなでおろしたものです。西ドイツの1軒目のレンタカー事務所では「東欧は有鉛ガソリンのスタンドが殆どだから貸せない」と言われました。そこで2軒目では「パリでクルマを返す」とだけ告げたのです(東欧を周回した後、実際、パリまで行きました。合計3千キロの旅でした)。

 それほどに東側の短期間での変化が西側に伝わっていなかったのです。

何よりも驚いたのは、ベルリンの壁がほんとうになくなっていたことです。スパイ映画でもよく見ていた、東西ベルリンを分ける検問所もない。「あれ、ここにあったの?」と周囲の人に確認する必要があったほどです。あっけない、という表現がぴったりでした。

たった10カ月で、世界はこんなにも変わるのか。解放感が溢れた東欧で「これはベストのタイミングで欧州に来た」との確信をもちました。

 新しいコンセプトを生み出し続ける欧州に、ぼくの関心の的がありました。その現場に立ち会うべく、欧州の生活を選んだのです。歴史と文化という2つの要素が、長持ちする新しいコンセプトの構築に貢献するはず、と。

傷だらけの理念としてのEU

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