□産経新聞論説委員・鹿間孝一
古くて新しい議論である。
「大阪を副首都に」
昨年11月の大阪ダブル選挙で当選した地域政党・大阪維新の会公認の松井一郎府知事、吉村洋文大阪市長がともに公約に掲げた。さっそく年末に府・市が「副首都推進本部」を設置し、新年互礼会などでもアピールして、各界に協力を求めている。
「古くて新しい」と書いたのは、似たような構想が繰り返し語られてきたからだ。
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1970年代には「東西二眼レフ論」が盛んだった。「政治の首都は東京で、大阪を経済の首都に」。大阪万博が開催され、高度経済成長の余熱で大阪も元気だったから、それなりの説得力があった。
その後、大阪は急坂を転げ落ちるように衰退する。東京を中心とした首都圏への一極集中が進み、大企業の本社機能も相次いで移転した。大阪市の人口は横浜市に抜かれ、規模の大きな地方都市という位置付けでしかなくなった。
そこに登場した橋下徹府知事(当時。のちに大阪市長)は、地盤沈下の原因は府・市の二重行政にあるとして「大阪都構想」を提唱し、「日本を動かすには東京と大阪のツインエンジンが必要だ」と訴えた。副首都機能を集約する場所として、大阪国際(伊丹)空港を廃港にして跡地を活用するという具体的な構想を打ち上げた。
だが、伊丹空港は関西国際空港と経営統合され、さらに運営権はオリックスなどが出資する企業グループに売却された。存続が決まったことで跡地利用は消えた。
今回の副首都構想は、昨年5月の大阪市での住民投票で大阪都構想が僅差で否決された後に出てきた。唐突な感は否めない。うがった見方かもしれないが、維新は都構想の再挑戦を表明している。一度は否決された都構想に「副首都」という“大義”を纏(まと)わせたいのではないか。
だから副首都構想はスローガンの域を出ず、イメージが明確ではない。副首都の定義そのものがあいまいである。