【専欄】「紅二代」は「統治階級」か 元滋賀県立大学教授・荒井利明

 改革開放が始まって間もない1980年代の中国で、次代の指導的幹部の選抜に従事した共産党幹部の回想録は、習近平らがいかにして抜擢(ばってき)されたかを知るうえでも、きわめて興味深い内容である。

 この回想録は、82~86年の間、党中央組織部に在籍した閻淮の「進出中組部」で、昨秋、香港で刊行された。中央組織部は党や政府の幹部の人事を担当する機関。80年代、トウ小平に次ぐ権力者だった陳雲のイニシアチブで、将来の中国をになう幹部を選抜、抜擢するため、中央組織部に青年幹部局が新設された。文化大革命時代の造反派が将来、地位と権力を握ることのないよう、彼らを排除するためでもあった。

 閻淮は45年に幹部の子弟として生まれ、清華大学に学び、文革後は石炭工業省に勤務したが、陳雲の長男、陳元の親友だったことから、82年の発足とともに青年幹部局に異動した。東北三省などを訪れ、地元の党委員会が将来の指導者候補として推薦した幹部と面談した。閻淮が面談、選抜した幹部の中には、習近平、張徳江、李長春ら、今世紀になって党の最高指導部入りした者も含まれている。

 習近平は当時、河北省正定県の書記になったばかりで、まだ目立った業績はなく、地元の党委員会による推薦もなかった。だが、青年幹部局の責任者の指示で特別に面談したのだった。車ではなく、自転車に乗って県内を見て回るなど、習近平の庶民的な態度は、閻淮に良い印象を与えたようだ。

 回想録を読みながら強く感じたのは、中国に限ったことではないが、血統(政治家2世の「紅二代」であること)とコネが、出世する上でいかに重要かということである。閻淮によると、陳元(現在、全国政治協商会議副主席)は、「統治階級は統治意識を持たなければならない」と語ったという。陳元のいう統治階級とは、革命と建国に貢献した党幹部とその子弟(「紅二代」)のことだろう。幹部の子弟の少なくとも一部は、陳元と同じ考えを持っていると思われる。陳雲ら長老たちも、幹部の子弟ならば信頼できるという強い血統意識の持ち主だった。

 閻淮は89年の天安門事件後、事件に抗議し、民主化運動に参加するため、国を去りフランスに逃げた。回想録で閻淮は、本当に危険なのは、陳雲らが危惧したかつての造反派ではなく、「民主の欠如」であると主張している。(敬称略)