専欄

ある「中国現代史の証人」の死 生前の二つの貢献 (1/2ページ)

荒井利明

 中国現代史の証人ともいえる李鋭が今月中旬、101歳で死去した。日本のメディアもその死を伝えたが、李鋭の生涯はまさに波瀾(はらん)万丈だった。

 1917年4月に北京で生まれ、長沙(湖南省)で育った李鋭は、39年末に革命根拠地の延安に赴き、革命運動に従事した。延安時代、国民党のスパイと疑われ、丸5日間、一睡も許されない拷問を受けた。(元滋賀県立大学教授・荒井利明)

 59年の廬山会議では、国防相の彭徳懐が毛沢東の非現実的な大躍進政策を批判して失脚したが、水利電力省の次官だった李鋭も彭徳懐ら「反党集団」の一員として失脚し、黒竜江省の農場で労働改造の日々を送った。60年前後はこの政策の失敗による大飢餓時代で、李鋭も餓死寸前の状態に陥った。

 66年から10年間の文化大革命(文革)時代、李鋭は北京郊外の秦城監獄で8年間の独房暮らしを余儀なくされた。

 文革後の79年に名誉回復され、水利電力省次官に復帰し、その後、共産党中央組織部常務副部長を務めて次代を担う幹部の抜擢(ばってき)に尽力し、84年秋に退職した。

 李鋭はかつて、「党に対して二つの重要な貢献をした」と述べたという。

 一つは、廬山会議から30年後の89年に「廬山会議実録」を刊行し、会議の全貌を明らかにしたこと。

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