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最も人命を奪うのは「間違った政策」 経済危機で不健康になる国 (1/3ページ)

 不況は人々の命と健康に害をもたらすと言われてきた。だが詳細に調べると、一部の国ではむしろ人々は健康になっている。公衆衛生学者のデヴィッド・スタックラーらは「その違いは経済政策だ。不況下に緊縮政策をとる国では多くの命が失われる。株価は元に戻るかもしれないが、失われた命は二度と戻らない」という。(※本稿は、デヴィッド・スタックラー、サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)の一部を抜粋・再編集したものです)

 リーマン・ショック後の不況で心と体に傷を負った少女

 オリヴィアは黒煙に包まれた恐怖をいまだに忘れられない。

 8歳のときのことだった。両親がいつものように口論を始め、台所で皿が割れる音がしたので怖くなって二階に上がった。そして枕の下に顔を突っ込み、泣きながら耳をふさいで騒ぎが収まるのを待っていたら、そのまま泣き疲れて眠ってしまった。

 どれくらい眠っただろうか。ふいに右の頬に裂けるような痛みを感じて目を覚ました。すると部屋に黒い煙が充満し、シーツから炎が上がっていた。オリヴィアは悲鳴を上げ、部屋から飛び出した。そこへちょうど消防士が駆け上がってきて、オリヴィアを抱きとめ、毛布を巻きつけてくれた。

 その火事は父親の放火によるものだった。酒をあおった挙句に腹を立て、家に火をつけたのだ。アメリカが大不況〔いわゆるリーマン・ショック後の不況のこと。以下同様〕のただなかにあった2009年春のことで、建設作業員だった父親はその少し前に失業していた。当時アメリカには失業者が何百万人もいて、薬物に手を出したり、酒に溺れたりする例が少なくなかった。

 結局オリヴィアの父親は刑務所に入れられた。オリヴィアは重度のやけどを負い、体にも心にも傷を負った。炎と煙に包まれたあの恐怖を乗り越えるために、それから何年もセラピーを受けなければならなかった。それでも生き延びただけましだったと思うべきかもしれない。もっと運の悪い人も大勢いたのだから。

 「政府に殺される」と叫んで死んだ

 その3年後の2012年4月4日、アメリカから遠く離れたギリシャで77歳のディミトリス・クリストウラスが自殺した。ディミトリスにはほかに道がなかった。1994年に薬剤師を引退してから年金暮らしで、それなりに幸せにやってきたが、新政府に年金を奪われ、もはや薬代も払えないほど困窮していた。

 その日の朝、ディミトリスはアテネ中心部のシンタグマ広場に行き、国会議事堂の正面階段を上った。そして銃を頭に突きつけ、「自殺じゃない。政府に殺されるんだ」と叫んで引き金を引いた。

 後日、ディミトリスのかばんに入っていた遺書が公開された。そのなかでディミトリスは、新政府を第二次世界大戦中にナチスに協力したゲオルギウス・ツォラコグロウ政権になぞらえていた。

 今の政府はツォラコグロウ政権と同じだ。わたしは三五年間年金を払いつづけたし、今まで政府の厄介になったこともない。ところが政府は、当然受け取れるはずの年金をわたしから奪い、生きる術を奪った。もっと思い切った行動をとりたいところだが、この歳ではそれもできない(とはいえ誰かがカラシニコフ銃を手にするなら、わたしもすぐあとに続きたいところだ)。もう自分で命を絶つ以外に方法がない。そうすれば、ゴミ箱をあさるような惨めな思いをせずにすむ。この国の未来のない若者たちは、いつの日か武器を手にとり、裏切り者たちをシンタグマ広場に吊すだろう。一九四五年にイタリア人がムッソリーニを吊したように。

 ディミトリスの自殺については、後日「これは自殺ではなく殺人だ」という声も上がった。ディミトリスが死んだ場所の近くの木には、こんな抗議文が打ちつけられた。「もうたくさん。次は誰の番?」

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