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最も人命を奪うのは「間違った政策」 経済危機で不健康になる国 (3/3ページ)

 奇しくも2012年のアメリカ大統領選挙は、刺激策か緊縮策か、公共サービスか個人の収入かといった普遍的な問いを投げかけるものとなった。そして富裕層への増税と社会福祉への投資を訴えたバラク・オバマ大統領が再選され、緊縮策は退けられ、そこからアメリカはゆっくりと不況を脱した。一方イギリスでは2010年以来緊縮政策がとられているが、その結果、2013年1月現在、不況に逆戻りしそうになっている。

 不況による惨事は政治的選択によって引き起こされる

 この10年間、わたしたちは大量のデータや報告書と格闘しながら問いつづけてきた。緊縮策か刺激策か? 富裕層への減税か増税か? 貧困層への公共サービスを切るべきか拡充するべきか? その答えを求めて極寒のシベリアの廃墟と化した町へ、あるいはバンコクの赤線地帯へと世界中を飛び回った。

 その結果、はっきりわかったことがある。経済危機で感染症が発生・拡大した地域が少なくないなか、それを未然に防ぐことができた地域もあるのだが、後者にほぼ共通して見られるのは、その社会に強いセーフティネット、強い社会保護制度があるということだった。

 オリヴィアやディミトリスのような惨事は不況が必然的に引き起こすものではない。それはむしろ、銀行を救済して国民のセーフティネットを削るといった政治的選択によって引き起こされる。逆に言えば、政府の、あるいは国民の選択次第で、経済危機による疾病の蔓延を食い止めることもできる。

 ある種の緊縮政策は確実に人の命を奪う

 また、今回の研究でもう一つ明らかになったのは、ある種の緊縮政策が文字どおり致命的な結果を招くということである。確かに不況は難しい状況を作り出すので、そこで人が健康を損なうこともある。だがもっと恐ろしいのは政策で、ある種の緊縮政策は確実に人の命を奪う。

 経済に関する世界最強のアドバイザーであるIMFは、これまで財政難に陥った国々に対してセーフティネットまで削るような緊縮政策を強いてきた。だがそのIMFも、最近の報告書でこの方針を変える姿勢を示している。緊縮政策は健康被害を生むばかりか、かえって経済を減速させ、失業率を上げ、投資家の信頼を下げるものだとようやく気づいたようだ。

 ヨーロッパでは、緊縮政策によって需要が枯渇するのを目の当たりにしたことから、民間企業の側からも緊縮策反対を叫ぶ声が上がるようになってきた。わたしたち二人は公衆衛生学の見地からセーフティネットの重要性を訴えているが、それもまた単に健康増進のためではない。今回の研究で、不況時においてもセーフティネットをしっかり維持することが、健康維持のみならず、人々の職場への復帰を助け、苦しいなかでも収入を維持する下支えとなり、ひいては経済を押し上げる力になるとわかったからである。

 配慮の足りない緊縮政策は死者を増やすだけ

 わたしたち現代人はいつの間にか大事なことを忘れてしまっていないだろうか? 負債も財源も経済成長も重要である。だが「あなたにとって最も大切なものは?」と訊かれて、ポケットから財布を取り出す人はいないし、自宅の増築だの高級車だのアップルの最新機器だのの話をする人もいないだろう。この問いのような調査は繰り返し行われているが、いつも結果は同じである。誰もが最も大切に思っているのは自分や家族の健康だ。

 だとすれば、わたしたちの論点を「ボディ・エコノミック」という言葉でくくってもいいかもしれない。これはわたしたちの造語だが、要するに国の経済を体に見立てて、その健康を管理するという考え方である(もちろん国民一人一人の健康も含めて)。なにしろ経済政策の選択はわたしたちの健康に、ひいては命に、甚大な影響を与えるのだから。

 医薬品の審査はあれだけ厳しいのに、なぜ経済政策の人体への影響は審査しないのだろうか。同等の厳しい審査があってしかるべきではないだろうか。ある経済政策が人体にとって安全で効果的だとわかれば、それはすなわち、より安全で健康的な社会を作れるということである。

 だが現状ではそうした審査が行われていないため、安全な経済政策ではなく危険な経済政策が横行している。配慮の足りない緊縮政策を断行することは、危険な薬の臨床試験を堂々と行うようなものであり、そんなことを続ければただ意味もなく死者が増えるばかりである。

 緊縮政策の代価は人命である。そのあとでめでたく株価が元に戻ろうとも、失われた命は二度と戻らない。(オックスフォード大学 教授 デヴィッド・スタックラー、医学博士 サンジェイ・バス)

 デヴィッド・スタックラー

 オックスフォード大学 教授

 公衆衛生学修士、政治社会学博士。王立職業技能検定協会特別会員。イェール大学、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学などで研究を重ね、現在、オックスフォード大学教授、ロンドン大学衛生学熱帯医学大学院(LSHTM)名誉特別研究員。著書にSick Societies: Responding to the Global Challenge of Chronic Diseaseがある。オックスフォード在住。

 サンジェイ・バス

 医学博士

 オックスフォード大学大学院にローズ奨学生として学ぶ。現在、スタンフォード大学予防医学研究所助教、また同大学にて疫学者として従事。サンフランシスコ在住。

(PRESIDENT Online)

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