【産経前ソウル支局長判決詳報(下)】加藤前支局長の主張を次々退けた末に裁判長が放った一言は…

2016.1.4 14:39

 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉をコラムで傷つけたとして在宅起訴された産経新聞の加藤達也前ソウル支局長(49)に対する昨年12月17日の判決公判で、ソウル中央地裁の李東根(イ・ドングン)裁判長は、弁護側の主張を次々退けていった。だが、起訴事実の柱で、最後の争点でもあった誹謗(ひぼう)の目的の有無をめぐり、「報復目的に虚偽の男女関係を報じた」という検察側の立証が認められることはなかった。理由は何だったのか。(ソウル支局)

 “4勝”にもかかわらず、うなだれる検事

 判決公判は、既に開始から約1時間40分が経過したが、コラムで書かれた旅客船セウォル号沈没事故当日、朴大統領が男性と会っていたとの噂は虚偽かの論証に多くの時間が割かれた。

 判決読み上げは、加藤前支局長が噂は虚偽だと認識していたかの考察部分に移っている。

 裁判長「韓国の大法院(最高裁)は、犯罪の故意は確定的な故意のみならず、結果発生に対する認識があり、それを容認する意思である、いわゆる『未必的故意』も含まれるため、虚偽事実の摘示による名誉毀損(きそん)罪もまた、未必的故意によっても成立すると判示している」

 李裁判長は、産経新聞が別の報道をめぐり、韓国大統領府から出入り禁止を通告されていたことなど、加藤前支局長がコラムを書いた当時の事実関係を詳しく取り上げていった。

 裁判長「前述した大法院の法理に、ただいま認定した事実および過程を総合して以下の通り判断する」

 「被告人は、外信記者である。韓国国内の事件に関する記事を作成するに当たり、韓国内の記者と同程度の注意義務を傾けることはできないだろう。しかし、記者としての経歴、韓国での活動期間と職級、産経新聞社の規模などを総合すれば、記事の波及力がどのようなものかを十分に予想でき、記事を作成する際に、どの程度の注意を傾けなければならなかったかを十分に分かっていたと考えられる」

 続いて、主な引用元の朝鮮日報のコラムが掲載されてから、加藤前支局長がコラムを書くまで約15日経過していることなどから、「本件記事を作成する前に、さまざまな関連資料を確認できる時間があったとみられる」との判断を示した。

 さらに、コラムを書く参照としたとする韓国国会の議事録は「むしろ、噂の内容とは背反しているものの方が多い」と指摘。コラムの参考とした情報誌やインターネットの記事など「その他の資料も、噂の内容とは関連性が非常に薄い」と断じた。

 裁判長「記者としての長い経歴のある被告人がそれらの資料を根拠に噂の内容が真実であると信じたとは考え難い」

 「他の人々を通じても噂の内容を確認したと主張しているが、他の人々を通じて確認したのか自体が疑問だ。確認したとしても、『噂の内容』が事実かを確認したのではなく、『噂の存在の有無』が事実かを確認したに過ぎないと思われる」

 そうして、こうまとめた。

 裁判長「被告人は、本件記事の多くの部分を他の記事や他の人物の言葉を引用する方法で作成している。これを考慮すれば、被告人が噂の内容が虚偽だと明白に認識した状態で、本件記事を作成したと容易に断定することはできない」

 「しかし、被告人が外信記者である点を考慮しても、上記の事情を総合すれば、被告人は本件記事を作成した当時、噂の内容が虚偽だと、未必的であったとしても認識していたと判断される」

 つまり、裁判所は、加藤前支局長が「噂は嘘かもしれない」と認識していたとの判断を示したのだ。未必的であったとしても「嘘と認識していた」と認定されたことになる。

 これで弁護側の「外国人特派員という限界もあり、噂は虚偽だと認識していなかった」という4番目の主張も退けられたことになる。残る争点は、コラムの公益性や誹謗目的があったのかなど2点に絞られた。

 検事3人は、検察側の主張が4点にわたって認められたにもかかわらず、なぜか、判決公判の冒頭から一様にうつむき、うなだれるような様子で判決を聞いている。

 流れ決定付けた一言

 裁判長「続いて、摘示された事実が被害者らの名誉を毀損したかについて考察します。これは被告人側の5番目の主張と関連しているものである」

 李裁判長は、名誉毀損の適用について、最高裁が「被害者が私的存在か、公的存在かによって基準が異なる」としている点に言及した。

 裁判長「当該表現が私的領域に属する場合には、言論の自由より、名誉の保護という人格権が優先されうるが、公共的・社会的意味を持つ事案に関するものである場合、言論の自由に対する制限が緩和されなければならない、としている」

 「特に、政府または国家機関の政策決定や業務遂行と関連した事項は、常に国民の監視と批判の対象にならなければならない。このような監視と批判は、言論報道の自由が十分に保障されて、はじめて遂行されることができる」

 「政府や国家機関の政策決定や業務遂行関連の事項を主とする内容で行われる言論報道により、業務遂行などに関与した公職者に対する社会的評価が多少低下しうることがあったとしても、公職者個人に対する名誉毀損罪が成立するとはいえない」

 「これらの法理に従い、被害者らの名誉を毀損したかを考察する」

 「特に、検察側は大統領としての朴槿恵と私人としての朴槿恵が、双方とも被害者であるとしているので、これを区分する」

 その上で、「セウォル号事故当時の大統領の動静が公的関心事案だったかを考察する」と告げた。

 裁判長「2014年4月16日にあったセウォル号事故が、国家的にも非常に重大な事案であった点には疑問の余地がない」

 「韓国大統領は、事故当時の救助活動に関して必要な全ての指示を行える権限がある。従って、セウォル号事故当時、大統領がどのような業務を遂行していたかは当然、公的関心事案である。さらに、大統領はその地位自体が公的存在であるため、業務遂行の過程で行った直接的行為のみならず、それと関連した行為も原則として公的関心事案に該当する。大統領のセウォル号沈没事故当日の動静は、公的関心事項に該当する」

 「本件記事で扱われている噂の趣旨は、大統領が鄭(チョン)ユンフェと緊密な男女関係であり、セウォル号事故当日に鄭ユンフェと会っていたために事故収拾に注力していなかったということだ」

 「噂に関する表現方法と内容は不適切だが、上記の噂の内容自体は、公的関心事案に該当する。国家機関である大統領の業務遂行という側面からみれば、大統領の業務遂行に対する批判に該当するためだ。本件記事も『私人、朴槿恵』ではなく、『大統領、朴槿恵』を報道の対象としている」

 「従って、この噂を報道する上でも、言論の自由は幅広く認められなければならない」

 「前述した噂の内容は虚偽だ。噂の内容を根拠とした大統領の業務遂行に対する批判もまた妥当だといえないが、妥当でないからといって、本件記事による『大統領』朴槿恵に対する名誉毀損が、直ちに成立するとはいえない」

 コラムの表現は「不適切」だと指摘しながらも、対象は「公的関心事」だと認め、「言論の自由」という観点から、大統領への名誉毀損に留保を付けた。判決の流れを決定付ける一言だった。

 「私人、朴槿恵」の名誉毀損に該当

 裁判長「続いて『私人、朴槿恵』に関する側面を考察する」

 「大統領の地位にいる『私人』を被害者とする名誉毀損罪が成立するためには、問題となっている表現が悪意的であったり、甚だしく軽率な攻撃で、顕著に相当性を欠いていると評価されなければならず、そのような判断を下すに当たっては、非常に慎重でなければならないだろう」

 「大統領の地位にある『私人』の側面から見れば、その噂の内容は非常に内密な私生活の領域の問題である。さらに、ある女性が配偶者のいる男性と緊密な男女関係であるという表現は、社会から受ける客観的な評価を侵害するものだといえるだろう」

 「噂の内容自体は公的関心事案であっても、結局は全て虚偽であるという点、被告人は、記事を作成する中で、噂の内容が事実かについて、これといった確認をしておらず、未必的ではあるが、虚偽性に対する認識もあったとみられる点、大統領職にある人物が国家的に緊急な事故が発生したにもかかわらず、事故の収拾に専念せずに、私的に誰かと会っていたという趣旨が含まれており、これは『私人』朴槿恵の社会的評価を甚だしく阻害するという点などを総合してみれば、結局、本件記事は『私人』朴槿恵の名誉を毀損するものとみられる」

 こうして、「私人」としての朴大統領については、名誉毀損に該当するとの見解を示した。

 続いて、もう一人の被害者に位置付けられた鄭氏について、コラムの主な関心対象は「大統領」であり、「鄭ユンフェが言及されたのも、大統領との関係のためであり、鄭ユンフェ個人への関心によるものではない」と断りながらも、以下のような判断を示した。

 裁判長「特定された時間と空間で、女性と秘密裏に会っていたという行為は、その人物が社会から受ける客観的な評価を侵害するものである。従って、本件記事は、鄭ユンフェの名誉を毀損するものと見なすに妥当である」

 加藤前支局長は、前に組んでいた手を後ろに組み直したり、頭に手にやったりと、少し姿勢を崩す場面が見られた。

 「韓国人として受け入れ難いが、しかし…」

 裁判長「最後に、被告人に私人の地位にある被害者らを誹謗する目的があったのかに関して考察します。これは被告人側の6番目の主張と関連しているものです」

 最後の争点についての判断だ。これまで4つの争点について弁護側の主張を退け、5つ目については決定的判断は先送りした形だ。

 裁判長「韓国の大法院によれば、摘示した事実が公共の利益に関するものの場合、特別な事情がない以上、誹謗する目的があるとは見なせない」

 「行為者の主要な動機ないし目的が公共の利益のためのものなら、付随的に他の私益的目的や動機が含まれていても、誹謗する目的があったとは見なし難いと判示している」

 そう述べた上で、加藤前支局長が名誉毀損に問われたコラム以外に、韓国の政治状況に関した「少なくとも8本の記事を作成している」ことを挙げ、それらの内容の概略を紹介した。

 朴大統領への批判が高まったり、首相の後任がなかなか決まらなかったりした韓国政治を取り巻く否定的な側面を伝えたものだ。

 裁判長「被告人は、大韓民国の政治状況を具体的かつ詳細に伝達する目的で、上記の記事を作成したと述べている」

 「これらを総合して、被告人に被害者らへの誹謗の目的の有無を以下の通り判断する」

 「本件記事は、日本の国民のためのものとして、日本語で書かれている。韓国は日本の最近隣国であり、韓国の政治・社会・経済的関心事案もまた、日本の関心事案に該当せざるを得ない。韓国大統領の言動やセウォル号事故関連の情報は、日本国民にも公的な関心事案に該当する」

 「本件記事以外に被告人が作成し、産経新聞のホームページに掲載された記事の内容を見れば、全て韓国の政治や社会的関心事案を主題としたものだということが分かる」

 そして、こうも付言した。

 裁判長「被告人の見方や分析を記載した部分のうち、韓国国民としては、容易に受け入れ難いものもあることは事実だ」

 「しかし」とし、続ける。

 裁判長「被告人の見方が韓国国民として受け入れ難いからといって、被告人が日本の正当なメディアの外信記者として、韓国の政治や社会的関心事案を日本の国民に伝達する役割を遂行することではないとはいえない。上記記事は全て、基本的に韓国の政治や社会的関心事案と、それに対する記者としての被告人の見方を日本人に伝達しようとした意図で作成されたものとみられる」

 「本件記事を作成した主たる目的もまた、以前の記事を作成した際と同様、セウォル号事故に関連した韓国の政治状況を伝達しようとしていたものと思われる。記事を作成した目的が噂の内容が事実であることや、噂が存在する事実自体を伝達しようとしていたものだとは断定し難い」

 コラムを書いた目的は「重大事故当時の朴大統領が置かれた政治状況を日本の読者に伝えるためだった」という加藤前支局長の言い分を認めた。

 噂の言及は「付随的」

 李裁判長による判決読み上げは、最も重要な箇所に差しかかった。

 裁判長「本件記事は、虚偽の事実を摘示している。しかし、その表現方法は第三者の言葉と報道を引用する伝聞や推測する形で、噂の内容が事実であると断定してはいなかった」

 「記事作成当時、韓国で政治・社会的に最も大きな関心事案であったセウォル号事故と、これに関連した政界の攻防を言及し、付随的に噂の内容を言及したものと考えられる」

 李裁判長は「公的関心事案に関する議論にかこつけ、公職者個人を害する」可能性もあるため、公的存在に対する誹謗の目的の成立の有無も厳密に区分する必要があると指摘した。

 裁判長「本件記事は、『私人』朴槿恵の名誉を毀損するもので、『大統領』朴槿恵の名誉を毀損するものではない点は、前述の通りであるため、被告人に『私人』朴槿恵を誹謗する目的があったかどうかを考察してみる」

 「まず、セウォル号事故当時、大統領職にあった人物が朴槿恵でなければ、被告人は、はじめから本件記事を作成していなかったり、問題となる表現を記載していなかったりしたと考えられる」

 「つまり、日本人である被告人が記事で批判しようとしていたり、日本国民に伝達しようとしていた政治状況の中心の対象は、事故当時の韓国『大統領』であり、ある男性と男女関係であるという噂がある韓国の一般的な女性『個人』であるとは考え難い」

 「記事に、大統領が、ある男性と男女関係だという趣旨の虚偽の事実が摘示されているが、このような噂も結局は、国家的な関心事案であるセウォル号沈没事故と関連して出てきたものであるという点、記事の初めの段落が大統領の支持率の推移を知らせるものから始まり、記事の最後は『朴政権のレームダック(死に体)は着実に進んでいるようだ』で終わるなど、ところどころに韓国の政治状況に対する評価が入っている点などを考慮すれば、さらにそうだといえる」

 「被告人が噂の内容が虚偽だと未必的にも認識していたとしても、対象は韓国の『大統領』と思われるのみで、大統領職にある『私人』であるとは考え難い。『大統領』ではない、『私人』朴槿恵に対する誹謗の目的を認定することは厳しい」

 続いて、鄭氏について「実名を公開したのは軽率だった」としながらも、「鄭ユンフェを誹謗する目的があったと直ちに推断し難い」と述べた。

 裁判長「前述の通り、本件記事や噂の主たる関心対象は、鄭ユンフェではなく、大統領である。鄭ユンフェに対する言及は大統領のセウォル号事故当日の動静を言及する過程で起こったものである。被告人が鄭ユンフェの名誉を毀損する行為を行うに至ったのは、誹謗する意図があったというより、セウォル号事故に関連した韓国の政治状況を伝達する上で、不注意だった結果だと考えられる」

 検察側の証拠は不足

 李裁判長は、こう総括した。

 裁判長「結果として、検察側が提出した証拠のみでは、被告人に被害者らを誹謗する目的があったと認めるには不足で、これを認める証拠はない」

 「むしろ、本件記事の全体の内容と構造および前述した事情を総合してみれば、日本人である被告人が本件記事を作成した主要な動機や目的は、最近隣国の政治や社会的関心事案を本国である日本や日本人に伝達するためだったと考えられる」

 検察側は特段の証拠を示すことなく、コラムで「男女関係という虚偽」を報じた“動機”は、大統領府から出入り禁止にされたことに対する「報復」だったと主張していた。これに対して、裁判所は、誹謗の目的という犯罪の構成要件の柱で、検察側の立証不足を断じたのだ。

 裁判長「これらを要約すると以下の通りである」

 「本裁判所は、前述の通り、大統領の公的地位を考慮すると、本件記事が大統領としての朴槿恵の名誉を棄損したとは見なし難く、被告人に、私人である朴槿恵や鄭ユンフェを誹謗する目的があったとは見なし難いと判断する」

 「しかし」と続け、留保も付けた。

 裁判長「本裁判所がこのように判断した範囲は、本件記事が、検察が公訴提起した犯罪の構成要件に該当しないということに限ったもので、被告人の行為が妥当であり、適切だったと言っているわけでは決してない」

 「本件を契機に、言論の自由も無制限的なものではないという点を明確に認識し、個人の人権や公益の調和した健全な言論の雰囲気がつくられるきっかけとなることを願う」

 産経新聞をはじめとしたメディア側にくぎを刺した形だ。

 裁判長「被告人は、韓国の大統領や韓国自体を嘲弄(ちょうろう)し、見下す内容の記事を作成しながら、事実関係もきちんと確認していなかったとしても、公職者を批判すること自体が誤りだとはいえない。一方で、誤りの事実をもって、私人を批判する方法までが適切だとはいえない」

 「しかし、韓国は民主主義制度をとっている国家であり、民主主義の存立と発展のために、言論の自由を重視しなければならないのは明白なことであり、大韓民国憲法第21条1項でも、言論の自由は明示的に保障されている。このような憲法精神を考慮しないわけにはいかない」

 「特に、公職者に対する批判は、可能な限り保障されなければならず、公職者の地位が高い場合や公職者の権限が大きいほど、保障される程度も広くならなければならない」

 李裁判長は、民主主義国家の司法機関として「言論の自由の保障」に重きを置いた点を強調した。

 裁判長「大韓民国の国民としては、被告人の見方に同意し難い部分が多いのは事実だ。しかし、外信記者に言論の自由を差別的に制限する合理的な理由はなく、被告人が日本国民のために、公益的目的で記事を作成した点などを考慮すれば、被告人の行為も言論の自由の保護領域内に含まれるといえる」

 「被告人の行為に不適切なものが相当存在していたと思われるが、言論の自由の側面から法理的に検討すると、被告人が公人である大統領自身の名誉を毀損したり、被告人に誹謗の目的があったとは、容易に断定し難いものである」

 主文言い渡しの瞬間、警察官約10人がずらりと傍聴席の前に立ち、傍聴席から人が飛び出すといった不測の事態に備えた。

 裁判長「公的存在に対する公的関心事案に関する名誉毀損の場合、言論の自由の価値を優位に判断する」

 「疑わしい場合は、被告人の利益となるようにするという大原則に基づき、被告人を刑事訴訟法第325条を適用し、以下の通り判決を宣告する」

 加藤前支局長はその瞬間、身じろぎもせず、前を見つめ続けた。

 「被告人は無罪」

 連絡のため、傍聴席の記者が廷外に飛び出すなど、一気に慌ただしくなった。

 加藤前支局長は弁護人に声をかけられ、固い握手を交わした。最後まで表情を崩すことはなかった。

(完)

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