【高論卓説】日米から学んだ中国の競争力 皮肉にも科学交流は貿易戦争の要因に

2018.10.22 06:05

 「紙・印刷・火薬・羅針盤」は古代中国の四大発明として有名であるが、現代中国の「新四大発明」は「高速鉄道・モバイル決済・シェア自転車・ネット通販」とのことだ。中国の新四大発明の一つである「高速鉄道」が発明される以前の1978年10月に、日本の新幹線に乗って東京から関西に移動したのがトウ小平氏である。トウ氏が新幹線に乗った感想を聞かれて、「速い。追いかけられて走っている気がする」と答えたのは有名な話である。(旭リサーチセンター、遼寧中旭智業研究員・森山博之)

 今年はちょうど日中平和友好条約締結40周年に当たる。トウ氏は78年10月23日の平和条約の批准書交換式典への出席に合わせて来日し、新幹線に乗った。トウ氏は来日の目的を3つ挙げている。「批准書交換」「日中関係改善に貢献した日本の友人に感謝の意を表明」「徐福のように不老不死の“秘薬”を探す」の3つで、秘薬とは中国が近代化を達成するための秘薬を意味し、先進技術と経営管理を日本から学びたいとしていた。

 「改革開放」の骨格が決まった同年11月の党中央工作会議の前にトウ小平氏は来日しており、日本での体験が大いに参考になったはずだ。中国は12月の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で市場原理の導入にかじを切り、工業、農業、国防、科学技術の4つの近代化を進めることになる。

 また、日本から技術や経営管理だけでなくODA(政府開発援助)も引き出した。79年に日本の対中ODAがスタートし、円借款は累計で3兆円を超え、中国が2010年にGDP(国内総生産)で日本を抜いて、世界第2位の経済大国に上り詰める原動力の一つとなった。

 一方、科学技術の分野において、トウ氏は米国の協力を引き出すことにも成功している。1978年7月に当時の米国カーター政権は、中国に科学者の代表団を派遣し、中国との本格的な学術交流を行った。中国政府はそれまで亡命を恐れて、科学者の米国への渡航を制限・管理してきたが、トウ氏は科学分野専攻の中国人学生700人の即時留学受け入れと、数年のうちに数万人を米国に留学させたいという大胆な目標の申し入れを行い、それを実現している。

 79年1月にトウ氏は訪米し、両国の科学交流を加速させる協定に署名し、その年に最初の50人の中国人学生が米国に留学している。その翌年には留学生はおよそ1000人となり、84年には1万4000人が米国の大学で学ぶようになった。ほとんどが自然科学、保健科学、工学など理系専攻である。

 今や海外留学する中国人学生は60万人を超えており、米国へは35万人が留学している。米国との科学交流が現在の中国の競争力を支えているのも間違いない。

 トウ小平時代には韜光養晦(とうこうようかい)(自らの力を隠し蓄えること)に徹していた中国だが、世界第2位の経済大国の地位を固めた習近平政権は、インターネットとハイテク産業に関する産業政策の「中国製造2025」を策定し、さらに35年に米国を経済で抜き去り、50年には軍事面でも優位に立つと宣言するなど、従来と違った姿勢を打ち出している。皮肉にも、科学交流が結果的に技術流出や中国の政府・企業による米企業の知的財産権侵害につながり、現在の米中貿易戦争の要因の一つとなっている。

 間もなく開催される日中首脳会談で、これまでほとんど触れられることのなかった日本の中国への支援を中国がどう評価し、どう報道するのか、今後の日中関係の行方を占う上で注目したいと思う。

【プロフィール】森山博之

 もりやま・ひろゆき 旭リサーチセンター、遼寧中旭智業研究員。早大卒後、旭化成工業(現旭化成)入社。広報室、北京事務所長などを経て2014年から現職。60歳。大阪府出身。

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