【専欄】生誕100年 華国鋒はなぜ称賛されるようになったのか

2021.3.9 06:17

 元滋賀県立大学教授・荒井利明

 毛沢東の後継者とされる華国鋒の生誕100年を記念する座談会が先月中旬、北京で盛大に開かれた。党のトップに必要な「政治能力と組織能力」に欠けると批判され、トウ小平らによって1980年に最高指導者の地位を追われた華国鋒はなぜ称賛されるようになったのか。

 華国鋒は毛沢東の死後間もなく、毛沢東の妻、江青ら「四人組」を拘束して、共産党と政府と軍のトップの座を獲得した。「英明な領袖(りょうしゅう)」とたたえられ、個人崇拝も高まった。

 だが、文化大革命中に失脚し毛沢東の死後に復活したトウ小平ら長老たちは、華国鋒が個人崇拝を受け入れ、古参幹部の復活や冤罪(えんざい)事件の見直しに消極的で、経済発展を急ぎ過ぎたなどと批判し、華国鋒がトップでは「党の優れた伝統を復活させることは不可能」として、トップの座から引きずり下ろした。

 華国鋒は北京五輪開催中の2008年8月、87歳で死去した。国営新華社通信はその死去に際して華国鋒の略歴を報じ、冤罪事件の見直しを開始し、工業・農業を比較的速く回復・発展させ、社会主義現代化強国の建設に尽力したと評価した。また、党機関紙「人民日報」は11年2月、華国鋒の生誕90年を記念する論文「党と人民の事業のために奮闘した一生」を掲載し、その生涯をたたえた。

 新華社が伝えた略歴や「人民日報」掲載論文の内容は、華国鋒が失脚時に被った批判や非難とはまさに正反対のものである。トウ小平らの死後、華国鋒の生涯が見直され、正当に評価されるようになったといえよう。

 評価の逆転はトウ小平らの華国鋒批判が事実ではなかったことを意味するが、現実の政治においては、発言者の権力の大きさが事実や是非を決定する。不当な評価だと反発した華国鋒は、より大きな権力を掌握するに至ったトウ小平らによって抑え込まれたのである。

 生誕100年座談会では党中央政治局常務委員の王滬(こ)寧が記念演説を行い、「人民日報」掲載論文とほぼ同じ内容で華国鋒の生涯について論じた後、党に忠誠を尽くした華国鋒の政治的品格に学ぶべきだと語った。そして、時代や条件の変化にかかわらず、党員や幹部にまず求められるのは、党に対する忠誠であると強調した。

 華国鋒失脚の一因となった個人崇拝に触れる者は誰もいない。今、繰り返し強調されているのは党に対する忠誠、つまり習近平に対する忠誠である。(敬称略)

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