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【成長への挑戦 熊谷組の120年】(5-4)台湾で建築の難工事に挑む

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施工から運営、保守まで

 熊谷組の海外進出は業界でも比較的早く、1961年に香港プロバーコーブ水道トンネルを受注したのを皮切りに、台湾や東南アジア、米国、豪州、欧州にも手を広げていく。特に香港では60件以上を手掛け、1989年に完成した香港東部海底トンネルは、日本企業が手掛けた案件では香港初となるBOT(Build-Operate-Transfer)事業として注目を集めた。BOT事業は、事業期間を決めて民間事業者が公共的施設の建設から運営までを行う契約形態で、期限満了後に行政側に返還する仕組みだ。

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 同トンネル事業は30年間にわたりBOT方式で運営されたのち、2016年8月の事業期間満了にともない香港政府に返還された。返還後は、熊谷組が中国中信股●有限公司(CITIC社)などと設立した共同出資会社が所有する香港現法が、香港政府との間で同トンネルの管理・運営・保守(MOM事業)として契約を結んだ。熊谷組にとっては海外MOM事業の第一号となった。その後、他社が施工した香港の大老山トンネルでも熊谷組も出資する現法が香港政府とMOM契約を締結。工事受注だけでなく、運営から保守まで長期的に公共事業にかかわっていく新しい海外活動の方向性を確立しつつある。

 バブル崩壊後の再建過程で、海外事業の多くから撤退した同社だが、将来的な利益の源泉として、案件を選びながら再参入する機会を模索している。

アンビルド設計に挑む

 ゼネコン各社はバブル崩壊後、海外事業の見直しを迫られた。熊谷組でも一時は全体受注額1兆円のうち、4割を海外事業が占めたものの縮小を余儀なくされた。それでも難しい案件に果敢に挑んでいく熊谷組の基本姿勢は健在で、竣工(しゅんこう)時点(2004年)で世界一の高さ(509.2メートル)を誇った台湾の超高層ビル「TAIPEI101」を受注し、大きな注目を集めた。

 また、同社の100%現地法人が台湾の高層デザイナーズマンション「陶朱隠園(タオヂュインユェン)」の施工を受注したのは記憶に新しい。この物件はフランス(ベルギー国籍)の建築家ヴィンセント・カレボー氏が基本設計を手掛けたもの。同氏は、幻の新国立競技場の設計者、ザハ・ハディッド氏とならび特殊な設計を行う建築家として知られ、これまでに設計の2割しか作られていない「アンビルド建築」の大家だ。陶朱隠園は、「The Tree of City(都市の木)」をコンセプトに、DNAからヒントを得た二重らせん構造と中国太極の回転をモチーフとしている。巨大な生き物がうごめくような独特なフォルムは、施工困難な「アンビルド建築」の典型だ。

 建物の高さは93.2メートル、鉄骨構造で地上21階・地下4階建て、全40戸で1戸当たりの居住面積は600平方メートル。奇数階の住宅内には柱がなく、玄関扉を開くと135度の眺望が広がる。

 建物中央には多機能エレベーターがあり、乗用車を各戸の玄関先まで横付け可能。有機性廃棄物の再利用、建物一体型の太陽光発電、雨水リサイクルなど環境負荷低減の工夫が施されているほか。完成後にバルコニーに2万本の植栽を施し、年間130トンのCO2を吸収する計画だ。

 施工業者の選定段階で、現地の建設会社、日系の大手ゼネコンも尻込みする中、半導体工場や高級マンションなど台湾で多くの施工実績を持ち。TAIPEI101の建設で名を上げた熊谷組に白羽の矢がたった。

 建築家がデザインした建物のねじれを実現するには、垂直、水平方向の荷重、それによる建物の変形を予測しながらの高精度な施工管理が必要となった。「現場における変異の中間データを計測してまとめ、構造設計の専門家が計算した数値と突き合わせ、その相違を専門家側にフィードバックするなど、かなり根気のいる大変な作業だった」。作業に従事したベテラン技術者はそう述懐する。また、躯体がねじれているため配管設置すら困難を極めた。当初の設計ではうまくいかず、直管と直管をバンドで巻く手法を採用。メーカー指定の範囲内で曲げ加工などを行い、無事通水、満水テストをクリアしたという。

このニュースのフォト

  • 台湾の超高層ビル「TAIPEI101」
  • 日本企業初となる香港でのBOT事業「香港東部海底トンネル」。30年間のBOTを終えてMOMを受注した
  • 2件目のMOM事業となる香港の大老山トンネル
  • 提携記者会見で握手する熊谷組の樋口社長(左、当時)と住友林業の市川社長
  • 展示会に住友林業と共同出展した熊谷組子会社のケーアンドイーのブース
  • コッター床板工法のイメージ

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