自動車

「デロリアン」「フォードVSフェラーリ」…自動車興亡史に童夢創設者も共感

波溝康三

 エンツォ・フェラーリ、ヘンリー・フォード、ジョン・デロリアン…。自動車メーカーの創設者たちが実名で登場する映画が米国で相次いで製作され、話題を集めている。興味深いのは、レースの世界など華やかな光の面だけでなく、生き残りを懸けてしのぎを削る経営者同士の争いなど影の面も赤裸々に描き、自動車産業の興亡史を浮き彫りにしている点だ。1978年、日本では珍しいレーシングカーのコンストラクター(設計・製造会社)を興し、世界三大レース、ル・マン24時間レースに参戦するなど大手メーカーに挑み続けた「童夢」創設者の林みのるさんが現場の一線で目の当たりにした自動車産業の現実について語った。

 弱小メーカーの野望と挫折

 先月封切られた映画「ジョン・デロリアン」は、1975年、理想の車を作るために、GM(ゼネラル・モーターズ)を退職し、「DMC」(デロリアン・モーター・カンパニー)を創設、新型車デロリアンを開発したジョン・デロリアンを主人公にした実話だ。

 未来的なデザインの「デロリアン」が発表されるや世界のカーマニアが注目。約8000台が生産され、ジョンは自動車業界の革命児と呼ばれるが、DMCは82年に倒産する。

 だが、倒産後も、デロリアンの人気は衰えず、現在も世界のカーマニアの間で高値で取り引きされているほどだ。

 世界で大ヒットしたSF大作「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の中で、主演のマイケル・J・フォックスが未来や過去を行き来するタイムマシンのベースとなった車両が、この「デロリアン」だった。

 映画「ジョン・デロリアン」では、米国の大手自動車メーカーに、弱小の新興メーカーで斬り込んでいくジョンの半生が描かれる。華々しい実業家の顔を持つ一方、麻薬取引などの嫌疑をかけられ、FBIに追われる裏の顔も描かれ、アメリカンドリームをつかんだ人生の“闇”が浮き彫りにされる。

 「自動車メーカーを立ち上げ、新型車を開発することが、いかに大変なことかは、この映画を見れば分かるでしょう。新車一台を開発するためには膨大な開発資金がかかる。だからジョンは犯罪にまで手を染めてしまうのです」

 こう語る林さんだが、78年、自らの手で理想のレーシングカーを作るため、京都府内に「童夢」を創設。同年、ジュネーブモーターショーで、新型のスーパーカー「童夢 零」を発表し、世界を驚かせた。

 「アラブの石油王やメジャーリーガー、車好きで知られる俳優のジャッキー・チェンら世界各国から数百台の発注を受けましたが、国の認可取得などが難航し、市販化はできませんでした」と打ち明ける。 

 当時、日本ではフェラーリやランボルギーニ、ポルシェなどスーパーカーブームで沸いていたが、日本初ともいえるスーパーカーを、トヨタやホンダではなく、京都の小さな自動車工房が手掛けたことはカーマニアだけでなく自動車関係者たちの間でも衝撃的な出来事だった。   

 だが、大きな反響の一方で、林さんは当時の思いを淡々とこう振り返る。

 「私が目指していたのは、レーシングカーを設計から開発まで手掛けるコンストラクター。だから、『童夢 零』の市販化は実は最終目標ではなかった。行政の許認可だけでなく、新型の自動車1台を生産するための開発資金を小さな会社1社だけで集めることなど到底実現できるものではないことも分かりました」

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