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江戸時代の甲府のうなぎ 江戸と関西、調理法が混在 市教委で郷土史調査

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江戸時代の甲府のうなぎ 江戸と関西、調理法が混在 市教委で郷土史調査

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 江戸時代の甲府城下で、うなぎの調理法に関東風と関西風が混在していた可能性が高いことが、甲府市教委で郷土史を調査している数野雅彦専門官の研究でわかった。数野さんは近世・甲府のうなぎに関する研究結果を来月20日、市主催の開府500年甲府歴史講座「甲府を学ぶ」で発表する。同講座は人気が高く、すでに満席となっている。数野さんにユニークな研究の成果を聞いた。 

 東日本に位置する山梨だが、江戸時代に関西の食文化が入っていた痕跡は、江戸時代の儒学者、林鶴梁が書いた「弘化三年林鶴梁日記」(1846年)にあるという。林鶴梁は現在の山梨大の前身である「徽典館(きてんかん)」の学頭を務め、赴任時に甲府で食べたものを日記に詳細に書き残していた。

 数野氏は平成20年、県立博物館(笛吹市)で開催された地元の食文化をテーマにした企画展で、紹介された林鶴梁の日記に出てくる「炙鰻(あぶりうなぎ)」という言葉に注目したという。炙鰻とは、さばいたうなぎを蒸してから焼く関東風と異なり、頭を付けたまま金串に刺して焼く西日本で特徴的な調理法だからだ。一般に、静岡県西部を境に、東西で調理法が分かれるという。

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  • うなぎを蒸してから焼いて調理する東西の調理法をミックスした「川長」のひつまぶし=29日、甲府市丸の内(昌林龍一撮影)

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