高論卓説

外国人労働者の受け入れ拡大 新しく「日本人を迎える」覚悟を

 仕事上、東京以外の地域に行くことが多い。本エッセーを書き始めた今月半ばから月末にかけての10日で、近畿や四国や北関東の自治体5カ所を訪問している。悲鳴を上げる老骨直前の「中年骨」にむち打って何とか業務をこなしているが、各地で聞く別の悲鳴は、とにかく人手不足だ。

 各所で、誘致された工場・企業関係者、誘致した自治体の市長・職員から話を聞く機会が多いが「人が取れない、人がいない」の大合唱だ。「統計開始後初」の全都道府県での有効求人倍率1以上状態が約2年前から続く中、採用の容易さを進出の決め手にする企業が増えている。

 2年前の2016年。1899(明治32)年の統計開始後初の出生数100万人割れが起こり、300万人近かった団塊世代や、200万人超だった団塊ジュニア世代を中心に「そのうち国が消滅する」という悲嘆の声が日本中に満ちた。2018年は92万人まで落ち込んだ。

 もはや労働力確保のため外国人の一層の受け入れが避けられないとの判断の下、今次国会で入管法が改正された。大議論の末、早速来年から新たな在留資格の運用が始まる。確かに国会やメディアでの反対論には首肯する部分が多い。欧米各国で移民問題が民主主義の根幹を揺るがしているが、特に当該国を選んだわけではない「移民2世」以降が社会に溶け込めずに恨みを抱えてテロリストなどとなって大問題となっている。「人が足りないので海外から呼ぼう」との単純な議論には危うさを感じる。

 ただ、今回の議論を横目に見て気になるのは、賛成側も反対側もその多くが、前提として「日本は憧れの国であり、入管法を改正すれば、ドーッと外国人が多数押し寄せる」と安易に考えている点だ。よほど大切にしなければよい外国人は来てくれない。

 当然だが、外国人は労働力不足という日本の都合に応じてきてくれるわけではない。距離的にベトナムやインドネシアなどの送り出し国に近く、高度成長中でもある中国沿岸部や台湾などとの労働者の取り合いが現に発生している。バブル全盛期の80年代とは違う。競争となれば、受け入れ期間延長などの条件緩和が勝利の鍵となるが、そうした思考に陥ることこそ、上記の治安への懸念などから、まさに危険だと思う。

 先ほど、私は「大切にしなければよい外国人は来てくれない」と書いた。「条件を甘くする」ことと「大切にする」ことは違う。「大切にする」とは、日本語はもちろん、日本の文化や生活習慣を丁寧に教え、社会に溶け込めるように工夫することだ。先日、鴻海(ホンハイ)・シャープ亀山工場での日系外国人の大量雇い止めが発生したが、外国人にも日本人同様にセーフティーネットを充実させることだ。先日、主宰するリーダー塾で、ある著名な日系外国人の述懐を聞いたが、氏が日本の大学に留学していた際、しばしば冷たい扱いを受けたことが残念ながら印象に残っているとのことであった。

 日系人にすら優しくできない日本人だが、もはや、おっかなびっくり外国人を労働力の補完的に受け入れるのではなく、新しく「日本人を迎える」覚悟を持って、本件に向き合わなければならない。これは、外国人受け入れ問題ではなく、新しい日本人を創れるかの問題だ。

【プロフィル】朝比奈一郎

 あさひな・いちろう 青山社中筆頭代表・CEO。東大法卒。ハーバード大学行政大学院修了。1997年通商産業省(現経済産業省)。プロジェクトK(新しい霞ヶ関を創る若手の会)代表として霞が関改革を提言。経産省退職後、2010年に青山社中を設立し、若手リーダーの育成や国・地域の政策作りに従事。ビジネス・ブレークスルー大学大学院客員教授。

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