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【大人の遠足】栃木・那須塩原「天皇の間記念公園」 皇室ゆかりの地 今も親しみ深く

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 平成から改元を迎える今年、皇室ゆかりの地が注目を集めている。栃木県内には、天皇陛下が皇太子時代に疎開されていた日光田母沢御用邸記念公園(日光市本町)が世界遺産「日光の社寺」近くにある。江戸時代後期から明治、大正の建築様式を持つ大規模な集合建築群だ。

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 また、戦況が悪化した終戦間際、天皇陛下は奥日光の南間ホテルに移られ、玉音放送を聴かれた。ホテルは廃業したが、建物は益子町に移築された。再整備が進められ、今春、「ましこ悠和館(ゆうわかん)」として平和を考えるギャラリー、宿泊施設として公開される予定だ。

 大正天皇の避暑地

 そして那須塩原市の塩原温泉郷にある「塩原温泉天皇の間記念公園」は塩原御用邸にあった建物を1棟だけ移築し、公開している。塩原御用邸は記念公園から1キロ離れた場所にあった。戦後廃止されたが、御座所として使われた木造平屋の建物が当時の姿のまま残されている。指定管理者、同市シルバー人材センターのメンバーが案内。君島ミサ子さん(74)は「塩原の人たちは御用邸があったことで、皇室にとても親しみを持っている」と説明する。

 大正天皇が皇太子だった明治35(1902)年の夏から塩原を訪ね、「豊かな自然や温泉をたいへん気に入られたといいます」と君島さん。御用邸はもともと栃木や福島の県令を務めた明治の元勲、三島通庸(みちつね)の別荘。塩原の地を気に入られた大正天皇のため、通庸の長男、弥太郎(後の日本銀行総裁)が献納して御用邸となったのだ。

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  • 塩原御用邸から移築された御座所の建物
  • 天皇の間記念公園

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