教育、もうやめませんか

日本の科学教育に世界とのズレ 「役立つ研究」を卑下する必要はない

野村竜一
野村竜一

 私は教育には興味がない。正確に言えば「教えて人を育てる」ということを信じていない。本連載でも述べたように、人は自らが没頭した時にそのプロセスでしか学ばないし、育たないと信じている。

日本と世界の間に“ズレ”

 先日、高校生の研究活動環境を考える上で大変示唆に富んだ話を伺う機会を得た。この秋、熊本県立宇土高等学校からアメリカのミネルバ大学に進学する成松紀佳さんだ。彼女は2018年に、レンズを通った光がつくる副実像の研究を行い、高校生のための世界最大の科学コンテスト「Intel ISEF(インテル国際学生科学技術フェア)」(以下、ISEF)に出場し、物理天文学部門の優秀賞4等を受賞した。

 世界各国からISEFで発表される研究は、「世の中の役に立つ研究」「課題を解決するための研究」が中心であり、実際にプロダクトやソフトウェアのプロトタイプ開発を行なった上で発表される研究が上位を占める。審査委員からの諮問においても「その研究がどのように世の中に応用されるのか」を詳細に問われるという。

 一方、日本の高校生の研究は基礎研究や「知りたいことを解明する」ことが中心であり、ISEFでの諮問・発表では大変苦労するということだ。成松さんは過去のISEF出場者からアドバイスを受け、自らの研究と社会課題をいかにマッチさせるかについてISEF直前に対策したという。

 日本のノーベル賞受賞者が最近盛んに、どのように役に立つか分からないが未来への投資となりうる基礎研究・学問研究を行うことが重要だと言う。私はそれを否定するつもりはない。基礎研究が科学立国の礎だというよく聞く言説も否定するつもりもない。基礎研究はスポーツ選手でいう筋トレと同じだ。しっかりとした土台を作ることは必要だ。また、まだ明らかになっていない現象を明らかにすることは科学の本質であり醍醐味であることも理解しているつもりだ。

 しかし、だからといって応用的な研究、社会にいかに役に立つかを指標とする研究を卑下したり邪道と考える必要は全くない。要は両方を行ったり来たりするべきではないかと考える。とりわけ高校生の研究活動ではだ。

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