著者は語る

歴史エッセイスト・岡崎守恭氏『遊王 徳川家斉』

 「泰平の世」令和の今に既視感

 徳川11代将軍家斉と聞いてピンとくる人はどれだけいるでしょうか。最初の家康、最後の慶喜、「暴れん坊将軍」の8代吉宗あたりは誰もが知っていますが、家斉となるとウーンとうなってから、やっと「ああ、あの子沢山将軍か」と思い出すかどうかというところでしょう。

 確かに50人以上も子供をつくり「オットセイ将軍」などと揶揄(やゆ)されています。しかし将軍の座にいたのも何と50年。29年の吉宗をはるかにしのぐ抜群の第1位です。「泰平の世」の「はまり役」だったとはいえるのではないでしょうか。

 江戸時代というと、享保、寛政、天保の三大改革が有名で、世直しが進んだいい時代のように思われがちです。が、実際にはその時代は何かと引き締めが厳しく、窮屈で暮らしにくかったでしょう。これに対し「家斉の時代」は弛緩(しかん)、退廃が批判されますが、武家も町人も羽を伸ばせたのではないでしょうか。

 だからといって家斉を隠れた名君だったとはとてもいえません。しかし家斉は名君とか、暗君とかいう範疇(はんちゅう)に収まらない権威と安定の上に君臨する「最強の将軍」だったのです。明治時代に古き良き時代と懐かしがられたのも「家斉の時代」でした。

 今の日本と単純に比較はできませんが、不思議と何やら既視感のようなものが浮かんできます。長期政権、役人に丸投げ、金銭の大盤振る舞い…。家斉に特別な経済政策があったわけではなく、本人が思い切りぜいたくをしただけですが、その余慶を下々にもという「お裾分け」の発想が強くありました。

 家斉がアベノミクスに大きく先駆けて、シャンパンタワーでイメージされるトリクルダウン理論を採用していたとまでは言いませんが、富める者がより富めば、貧しい者にも自然と富が滴り落ちると考えて、罪悪感を持たずにぜいたくをしたのは間違いありません。

 翻って現在の日本。経済政策の効果が長く出ず、対外政策も行き詰まり、そこに新型コロナウイルス。政府の対応への不満も高まっていますが、結果として医療崩壊などは起きず、奇妙な「泰平の世」が続いています。「家斉の時代」は徳川幕府の頂点で、いわば江戸時代の完成型でした。令和の今は戦後日本の完成型なのでしょうか。家斉の死去から大政奉還で徳川幕府が崩壊するまでわずか27年です。(850円+税 文春新書)

【プロフィル】岡崎守恭

 おかざき・もりやす 歴史エッセイスト。日本経済新聞社で北京支局長、政治部長、大阪本社編集局長、常務執行役員名古屋代表ななどを歴任。「“ブッシュ”ホン」で1990年の流行語大賞(銀賞)受賞。長く政治記者として永田町ウオッチャーを務め、自民党の中曽根派、田中派などを担当した。近年は江戸時代研究に軸足を移し、国内政治、日本歴史、現代中国に関する講演、執筆活動を続けている。69歳。東京都出身。

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