受験指導の現場から

日本の就活はやはり不条理 学力差を無みしていつまで同じ土俵で戦わせるのか

吉田克己
吉田克己

 今年度から、中・高・大学受験対策以外に、大学(短大)・専門学校で就職試験や公務員試験の対策授業を担当するようになり、改めてというか、つくづく思うことがある。それは、学力が高い生徒(学生)もそうでない生徒(学生)も一様に、総合大学から就活へという同じ土俵で競わせ続けることの不条理さである。

 率直に言って、偏差値50~55以下の大学生よりも上位校に受かりそうな小6や中2のほうが、少なくとも算数・数学の学力は高い。小・中学生のあいだは、個々人の精神面の成長度合いが学力に与える影響も大きく晩熟な生徒もいるにはいるが、大学生になってから、学力で先行していた同世代に筆記試験の実力で追い付けるかと言えば、それはほぼない。

 さらには、学生講師も含めた仕事上の付き合い、居酒屋などでの世間話から受ける感覚としても、サラリーマンとして「仕事がデキる、デキない」という面では、MARCレベル卒とそのすぐ下に位置づけられる大学卒とのあいだには、他のランク間よりも大きなギャップがあるように感じられる。

 つまり、言いたいことはこうだ。仮に我が子が、一般にA~Fの6段階で表される大学ランキングのCまたはDランク以下の大学にしか進学できそうにないとする。その子に、大学進学から就活・就職まで、相変わらず学力と成績が物を言う土俵で競わせ続けることが、果たして賢明で合理的な選択なのだろうか、と。

「我が子がスーパーで魚を切る仕事に就くとは…」

 かれこれ25年ほど遡る話だが、息子が就職したばかりの50代のご婦人から、「まさか大学を出て、スーパーで魚を切る仕事をするとは思いも寄らなかった」と聞かされたことがある。その息子、たしかに勉強はできないほうだったが、それでも現在の大学ランキングだとCの真ん中よりやや下くらい、大東亜帝国の一角を占める大学を卒業している(就職活動にも手を抜いている印象はなかった)。

 当時は就職氷河期に当たっていたということもあろうが、今般のコロナ禍を考えると、来春以降、しばらく同様の状況が続く可能性も視野に入れておく必要がありそうだ。

 逆に、早慶(大学)に進学できれば安心なのかと言えば、そんなことはない。古くもあり今の話にもなるが、半年ほど前の休日の午後、近隣のいきつけの店で40代後半のW大卒の常連男性と同世代の女性(中・高生3人の母親)ほかと居合わせた時のことである。

 この男性、地方のトップ県立高校を出てW大学政経学部に進んだ迄はよかったのであるが、留年をきっかけに仕送りが止まり(母子家庭だったことは後から知った)、その後もアルバイトと課外活動に明け暮れた挙句に除籍。その後もずっと正社員にはならず、なおかつ、東京に出てきて以来、一度も帰省をしたことがないという親不孝者なのだが…。

 例によってその男性、周りの年長者から、「早く仕事を見つけろ」(3月から失業中)、「母親に顔を見せてこい」「なんで親に頭を下げられない」「親不孝だろ」などと、突っ込まれていたというよりは叱られていたのだが…。なにを勘違いしているのか、本人はW大学に合格したことが親孝行になっていると思っているらしい(たしかに、その後が順調ならば、それも一つの親孝行ではあるが)。

 すると3人の中・高生の母親、思うところがあったのだろう。曰く、「子育てに一所懸命になるのは、立派な社会人にするためであって、一流大学に合格させるためじゃない!」と。筆者にとっては、久方ぶりに膝を打った瞬間であった。

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