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【日本遊行-美の逍遥】其の四(鞍馬・京都市) 静かな山里の熱い一夜

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【日本遊行-美の逍遥】其の四(鞍馬・京都市) 静かな山里の熱い一夜

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 京都盆地の北にあって都を守り、山岳修験の場となった鞍馬山(くらまやま、京都市左京区)。集落は谷間の鞍馬街道に沿って細くのび、鬱蒼(うっそう)とした森が東西に広がる。この静かな山里が、毎年10月22日の「鞍馬の火祭」の一夜だけ、すさまじい炎と煙に包まれる。この熱気と興奮の中に立つのが、僕の長年の夢だった。昨秋、この火祭を執り行う住民組織「七仲間」である一家族とともに過ごすという、願ってもない機会に恵まれた。

 鞍馬では「1年は13カ月」といわれるほど、火祭の準備に多くの時間を費やす。新緑の頃に松明の材料となる躑躅(つつじ)の柴を刈り、1カ月前から松明(たいまつ)づくりが始まる。祭を迎える集落の、空気が少しずつ暖まり、沸騰するような瞬間を経て、また穏やかな日常に戻るまでの過程を写真に収めたいと思った。僕は火祭の2日前に鞍馬に入った。

 当日、家々では通りに面した座敷に祭壇を設け、氏神様への奉納のために鎧甲(よろいかぶと)や屏風(びょうぶ)を飾る。この日のために大切に育てたり、また山野から摘んできた草花や野菜、果実などを供える。鞍馬の人たちは、盆と正月、そして火祭には故郷へ帰るという。どの家でも女性たちは協力しながら、この日に集う家族や友人、来客のために、もてなしやふるまいの食事をつくっている。その空気が何ともいえず温かい。

 ≪火祭り育んだ人々の濃厚な関わり≫

 日が傾くにつれて緊張感が漂いはじめる。僕が惹(ひ)きつけられたのは、男衆が正装を身につける姿だった。火祭には、短い襦袢(じゅばん)で肩と腕を覆い、白い下がりを装着した独特の正装姿で参加する。この日のために鍛え上げた若者たちの体に、先輩たちがふんどしを締め、下がりをつける。楽しそうに会話しながら、同時に祭りに向かう姿勢や気合いを伝えているようにも見える。誰もがこの火祭りの担い手であり、何かを伝え、そして手伝おうとしている姿が心地よく感じられた。そう、手伝うことは、伝えることなのだ。

 午後6時、日暮れとともに「神事ぶれ」といって、火祭の始まりを告げる松明が練り歩く。各松明に火が入り、「サイレイヤ、サイリョウ」と口にしながら、「遣(つか)いの松明」の往来と「諸礼」を繰り返し、各仲間が松明の数を増やしていく。そして由岐神社の山門を目指して集結し、「注連縄(しめなわ)伐り」の儀式が行われる。

 神輿(みこし)を迎えに、若者が石段を駆け上り、「チョッペンの儀」のあと、神輿の渡御(とぎょ)を経て御旅所(おたびしょ)に安置される頃には、午前0時を過ぎていた。燃えさかる巨大な松明からは火の粉が飛び、その炎の熱さにカメラが壊れるかと思ったくらいだ。そんな迫力ある風景の中で、僕の興味は、輝く炎から、それらが映し出す人々の姿や表情へと移っていった。ある人が目に入ると、その人がどのような人とつながっているのか、どんな家族と暮らし、仲間と何を語っているのか、その瞬間を写真に撮りたい衝動に駆られた。一人の輪郭に、家族や仲間たちの輪郭が重なる。そんな不思議な気分に見舞われた。

 「鞍馬の火祭」の目的は神事であり、そのための伝承を行っている、というのが単純な話だ。伝統的な祭が継続できなくなるのは、過疎化や高齢化による担い手不足ばかりが理由ではなく、人々の趣向性の変化によるところも大きいと聞く。どんな人でも、人との関わりが煩わしいと思うことがあるだろう。

 けれども毎年訪れる「祭」は、人を否応なく巻き込む。助け合い、伝え合い、ともに「祭」を迎える。その瞬間がある方が、生きている時間が濃くなる。人々の濃厚な関わり合いの時間の蓄積が、この鞍馬の空気そのものだ。そう思うとき、「鞍馬の火祭」が育んできたもののあまりの大きさに言葉を失い、懸命にシャッターを押すしかできなかった。(写真・文:俳優、クリエイター 井浦新/SANKEI EXPRESS

 ■いうら・あらた 1974年、東京都生まれ。代表作に第65回カンヌ国際映画祭招待作品「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(若松孝二監督)など。ヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」では第55回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。

 昨年(2013年)12月、箱根彫刻の森美術館にて写真展「井浦新 空は暁、黄昏れ展ー太陽と月のはざまでー」を開催するなど多彩な才能を発揮。NHK「日曜美術館」の司会を担当。2013年4月からは京都国立博物館文化大使に就任した。一般社団法人匠文化機構を立ち上げるなど、日本の伝統文化を伝える活動を行っている。

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