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雜賀慶二氏

東洋ライス株式会社 社長
雜賀慶二氏 インタビュー

 「技術は創造を伴うことで価値ある製品を生み出す。それこそが高度な社会貢献につながるのだ」と、東洋ライスの雜賀慶二社長は強調する。コメに関わる機械の製造販売を通して培った技術は、無洗米、金芽米、金芽ロウカット玄米と世の中に貢献するヒット商品を生み出し続けた。高度な社会貢献を実践する考えの底流にあるものは何か。日本人には欠かせないコメへのひたむきな思いを雜賀社長に聞いた。

(2015年5月取材)


雜賀慶二氏

原点となった石抜き機の開発

―東洋ライスの前身である東洋精米機製作所を設立するまで、どのような経緯があったのですか

 1916年(大正5年)に設立した「雜賀商会」が祖父の会社でした。事業内容は精米機の販売と修理などです。戦後、新制中学を卒業したものの就職先など無い時代。家業を手伝う以外に選択肢はありませんでした。とはいっても父は戦災のショックで事業意欲がなく、15歳の私が一家を支えるのですから、手伝いではなく大黒柱として働きました。

 得意先の米穀店から依頼された機械修理で何とか食いつないでいたころ、当時はコメが配給制で一軒当たりの量は少なく、米穀店の機械では少量の精米はできません。そこで家にあった中古の精米機を活用することを思いつき、家の前に「米一升から精米します」と張り紙を出したところ、行列ができるほど客が殺到しました。機械の仕組みが分かっていたので、少量のコメでも精米するのは簡単でした。

 その後、コメが流通し米穀店の数も増えたので、機械販売と修理で事業は軌道に乗りました。そのころ得意先からは「コメに混じっている石を取り除く機械はないのか」と言われ開発に着手したのです。今では考えられないでしょうが、炊き上がったごはんを無防備に頬張ると石をかんでしまうことがあった。ハンマーで頭をたたかれるような衝撃です。

 だが、メーカーはそんな機械は作れないと対応しません。そこでコメと石の摩擦係数や比重の違いに着目して特殊な揺すり方をすることで、石を取り除く石抜き機を開発しました。この機械は今でも現役で利用されています。

 1961年に石抜き機の発表会を開くと、引っ張りだこ状態でした。生産設備を整え、会社名もメーカーらしくしようと考え、その年の秋に「(株)東洋精米機製作所」を設立したのです。

―2年後に財団法人雑賀技術研究所を設立されていますが、その狙いは

 新しい技術を開発するには、多くの苦難を味わい辛酸をなめることになります。私自身の経験です。試作品を製作する費用もなく、何とか開発にこぎつけても売れるのかどうか自信もありません。何度も途方に暮れ研究を断念すべきか自問自答する日々がありました。そんな私の背中を押してくれたのは、物心両面で面倒を見てくれた後援者の方々です。

 この恩に報いるためにも、後に続く発明者たちに私のような辛苦をさせないことだと思い研究を援助する機関を設立したのです。そこにあるのは利益至上主義ではなく、社会が必要とする開発を優先すべきだとの発想があります。当時は、海外から先進技術を導入し中小企業が下請けする産業構造でしたので、反発心もありました。

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