子どもたちは好奇心が旺盛で、見るもの聞くものすべてに興味を示す。「なぜ」「どうして」「どうやればできるのか」という意識で常に物事を見ていることから、私は「訊く坊」「訊く子」と呼んでいるが、言い換えれば、「なぜ」「どうして」「どうやれば」に答えてやれば、「パパ、すごい!」と目を輝かせることになるのだ。
私が道場で指導するとき、幼児や低学年ではできないことをわざと実演して見せる。
「いいかい、試合で攻めるときはスピードと正確さが大事なんだ。たとえば、こう構えていて……」
解説をしながら、子どもたちの前で連続技を瞬時に繰り出して見せれば、
「早い!」
「すごい!」
と感嘆する。
実際はすごくもなんともない。幼い子たちの目からすれば「すごい」になるだけで、中・高生あたりが見れば「館長も歳だな」といったレベルだが、子どもたちは私のことを「できる」と認識する。パンチングミットを激しく叩いて見せて、「できる」のデモンストレーションをやることもある。
「このとき注意することは、しっかり脇を締めることで……」
解説はするが、子どもたちに理解させようとは思っていない。
「館長、すごい!」
と認識させるのが目的であるからだ。この時点で子どもたちは私の掌中となり、指導はより容易になる。
お父さんにとっても、この手法は有効だ。私の場合は、空手という技術を伴う分野での関係なので、「やって見せる」は不可欠としても、家庭においてはそれにこだわる必要はまったくない。父子の関係は広範囲であるため、自分の得意分野で「お父さん、すごい」を見せればよい。従事する仕事について話して聞かせ、そこから世のなかの仕組みに展開するのもいい。好奇心旺盛な子どもは目を輝かせるだろうし、この目の輝きがすなわち、「お父さん、すごい」となるのだ。