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ホンダの本社ビルに秘められた“本田宗一郎伝説”の謎を追う (1/5ページ)

 2020年東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場(建設中)と、著名人のお墓が集まる青山霊園。その中間地点にあたる港区南青山2丁目にホンダの東京本社ビルがある。青山通りと外苑東通りの交差点に面した場所に建っているのだが、ビルのデザインが少々ユニークなことに気付く。各階の外壁部分がバルコニーと一体化しており、窓ガラスが引っ込んでいるのだ。デコボコにみえるので「ちょっと変わったビルだなあ」という感想を抱く人もいるのでは。(昆清徳,ITmedia)

 実は、このビルの設計には創業者である故本田宗一郎氏のさまざまな意向が反映されている。バルコニーはそのうちの1つなのだが、他にはどのようなものがあるのだろうか(本記事では便宜上「本社ビル」と表記するが、ホンダ社内では「青山ビル」と呼んでいる)。

本社ビルができるまで

 まず、東京における本社ビルの変遷について簡単に振り返ろう。

 静岡県で創業したホンダは、1960年に東京へ進出。八重洲に本社ビルを建設した。しかし、事業が拡大するに従ってオフィスのキャパシティーが限界を迎え、新本社建設の機運が高まってきた。75年、新本社建設プロジェクトが立ち上がり、移転先の候補地が検討された。77年頃に土地購入が完了したことを受け、ビルの設計もこの時期から始まった。新本社ビルが竣工したのは85年だ。

 本田宗一郎氏は73年にトップの座から退き、終生の最高顧問に就任している。本社ビルの設計案を練るにあたって、どのようなやりとりが社内で行われていたのかを示す議事録は残っていない。

 では、本社ビルのどこの部分に創業者の思いが反映されているのだろうか。ビルを管理している担当者は「設計当時のことを知る社員はもういないので、あくまで社内に伝わっている話ですが」と前置きしたうえで解説してくれた。

 それでは、ホンダ社内に伝承されている“本田宗一郎伝説”を見ていこう。

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