意味とは極めて直感的なところに依存する。カッコイイ、美味しいとその瞬間、論理的に判断するのではない。
但し、ここには1つ説明を挟まないといけない。
美的判断は、ある種のトレーニングや習慣の結果としてある。明治のはじめ、日本の人たちは西洋音楽を良いと感じなかったし、欧州の人たちは日本の音楽に魅力を感じなかった。
だが、お互いに音楽の聴き方に差異があったとしても、西洋音楽に拒否反応を示す日本の人は少ない。欧州の人はそこまで日本の音楽に馴染んでいないので、多くの人は日本の音楽の良し悪しの判断を停止する。
何を良いとするかというものさしは、ある程度、自分で獲得していくものなのだ。他人から学ぶか独学であるかに関わらず、何らかの学習プロセスは必要である。その経験を踏まえて、「直感が働く」のである。
つまり美的な判断は、これまでの経験に基づきながらも、判断する瞬間は論理的な道筋ではなく、直感的な判断になる。その結果、審美性に基づいた方向感覚が意味をつくっていく。
審美性のレベルが上がれば、すなわちこだわりがより強くなれば、さらに深い意味を手にすることができるのだ。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。