ミラノの創作系男子たち

「ムラトーレ」の息子のチャーミングな仕事 ジュエリー作家になったわけ (1/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 最初に正直に言っておきたい。アクセサリーやジュエリーの作品に、これまで心を動かされた経験があまりない。しかしながら、宣伝ではなく、アントニオ・ピルソのジュエリーをみたとき、この人の話を聞きたいと瞬間的に思った。

 彫刻作品である。それがたまたま理由あって小さいサイズに収まっている。とすると、その「たまたま」とは何だったのだろうか。それを知りたいと思った。

 ぼくはアントニオにインタビューをはじめたとき、「あなたはアルティジャーノ(日本語でいう職人)と名乗っているが、あなたの作品からするとアーティストと呼ばれるに相応しいと思う。あなたは、どちらで呼ばれたいか?」と第一に聞いた。

 「14歳でこの仕事を始めたとき、自分をアーティストのような価値はないと感じていたが、23歳で独立し、ある時にアーティストであるとも自覚した」と60歳周辺らしい彼の言葉が返ってきた。

 アルティジャーノは何らかの仕事の再生産に関わり、アーティストは自身の内部にある掴みがたいものを表現する人である、というのが彼の定義だ。

 「アーティストではなく、心ではいつもアルティジャーノだ!」というような変に気張った印象がなく、ぼくは彼の話に一気にひきこまれた。

 彼の父親は南部のカラブリアの出身で、ミラノにはアントニオが小さい時に移民としてやってきた。ムラトーレ(左官屋)である。イタリアでは家の新築から修復までふくめ、ムラトーレが活躍する範囲は広い。

 16世紀の建物の内部を修復するなど古い建物を相手にすることも多かったアントニオの父親であるが、移民のムラトーレの息子であることがアントニオには嫌で堪らなかった。

 都会の気取った連中に低く見られているような気がして仕方がなかった(実際、「気がしただけ」ではなかったのだが…)。

 そうして昔を思い起こしているうちに、彼の目から涙が落ちてくる。目がうるむのではなく、涙が落ちるのである。

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