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欧州ブランドは「古臭い」のか 多文化主義の波が問う「西洋的価値観」 (2/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 この10年間でも、前述の2つの要素は急劇に重きを失っている。ぼくが2008年、『ヨーロッパの目 日本の目』を書いたとき、これらの要素は欧州文化を語るに、まだまだ「生きていた」。しかしながら、その後、これらの前提を覆すケースに多く出会い続けることになった。

 だいたいにおいて、オペラ劇場であれコンサートホールであれ、演目にある曲は外国人観光客向けに「聞き慣れた馴染みのある」ものばかりだ。かつてスカラ座の聴衆は出来に煩いと言われたような評判を、今まともに聞く人などいないだろう。

 「これは仕方ない現象なのかもしれない」と感じることが多々あり、かつての欧州文化は懐古の対象になってしまったのかと諦めかけていた。

 だが、スウェーデンやオーストリアでそう遠くない将来に、若い世代においてはイスラム信者とキリスト信者の数が逆転する勢いである現実を見せられたとき、そしてイスラム教の人たちが必ずしも欧州が長年取り組んできた寛容な考え方に賛意を表していないと知ったとき、日本人のぼくもふと立ち止まらざるをえない。

 移民の多いミラノにおいて、自分もよく見えていない社会がある。ぼくの息子が幼稚園や小学校のとき、同じクラスにはアフリカや中東の子どもも少なくなかった。しかし、同じ公立ながら中学・高校と進むにつれてクラスはイタリアの子を中心に同質化していく。

 そして、18歳の成人を迎えた息子がイタリア国籍を取りたいと語り始めている。

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