キャリア

生き延びた100点の軍師と非業の死を遂げた200点の英雄、その違い (1/3ページ)

 手柄はかえって我が身を危うくする

 他人からの嫉妬は、古今東西の貧富貴賎、老若男女にとっても逃れられない人間の感情です。それを敏感に察知して上手にかわすことなしには、成功を収めるどころか、命の危険にまで晒される代物です。

 歴史に名を遺した人物たちは、周囲に渦巻く嫉妬とどう向き合ったのでしょうか。その事例を見ていきましょう。

 中国の後漢王朝末期から三国時代、魏の曹操に仕えた賈クという軍師がいます。地味ながら漢の高祖(劉邦)の側近・張良にも比肩するといわれた名参謀です。この時代の綺羅星の如き俊才のほとんどが、途中で不幸な死に至り、天寿をまっとうできていない中で、賈クは77歳までしたたかに生き残り、最後は戦死や謀殺ではなく病によって大往生を遂げています。

 しかし、賈クの人生には常に嫉妬が付いて回りました。実は賈クは曹操に仕える前に董卓(とうたく)、李カク、段ワイ、張繍(ちょうしゅう)と多くの主君の下に在籍しています。

 なぜなら、賈クのあまりの才能に主君たちが嫉妬し、恐れ戦いたからです。賈クは、才能を遺憾なく発揮して李カクに助言をするのですが、あろうことか嫉妬されて謀反の疑いをかけられます。命の危険を感じた賈クは、今度は段ワイに仕えますが、やはり恐れられてしまう。軍師がよかれと主君に尽力しているだけなのに、優秀すぎて「いつか自分の地位を奪うのでは」と怖がられてしまう。上司は100点を取る部下は喜びますが、200点も取ってしまう部下は怖くて仕方がないんです。賈クは、次第に「才能は小出しにしなければならない」ことを学んでいきます。

 やがてその才能を見込んだ魏の曹操が、賈クを参謀として迎え入れます。しかし、賈クは張繍の参謀だったころ、曹操の身内を討ち取っており、生え抜きの将軍から訝られます。

 肩身は狭く、嫉妬を受ける中、手柄を立てることはかえって我が身を危うくすることを、それまでの失敗を通して学んだ彼は、密会や根回しの場にも顔を出さず、娘を政略結婚の道具にしないなど、恨みや妬みを買わぬ振る舞いを徹底します。御前会議でも、積極的に意見具申することもなく、曹操から求められてようやく「恐れながら」と細心の注意を払いながら自分の考えを述べる。そうやって周囲の嫉妬や恐れを回避しながら、賈クは20年近く曹操に仕えることができたのです。

 曹操は晩年、跡継ぎを嫡男の曹丕(そうひ)にするべきか、三男の曹植(そうしょく)にするべきか頭を悩ませます。家臣たちが曹丕派と曹植派に分かれる中、賈クはどちらにも与せず、中道を貫きます。考えあぐねた曹操が賈クに「そなたはどう思う」と意見を求めてもなお、賈クは「考え事をしておりました」と答えをはぐらかします。

 曹操が「何を考えていた」と問い詰めるとようやく「袁紹(えんしょう)のことを考えておりました」とつぶやきました。袁紹は曹操とともに後漢を倒した武将の1人ですが、嫡男を廃したことで一族を滅ぼした人物。賈クは直接口には出さず、暗に「嫡男の曹丕にすべき」と伝えたのです。曹操は賈クの言に大笑い。初代皇帝となった曹丕は、賈クを大尉に任命して報いています。

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