「1996年3月30日 午前4時43分」
記録した時間帯が早朝なのは、仕事で残務処理をしてから帰宅して、そのまま書き上げたのだろう。事業計画書に書いた社名は「リビング・オン・ザ・エッヂ」(崖っぷちに生きる)。後に有限会社オン・ザ・エッヂと社名をあらため、社長には僕が就いた。この会社で、起業家としての僕の人生がスタートした。
会社を立ち上げた時期と前後して、僕は東京大学を中退した。正確には1997年の2月に、中退という記録になっている。行くのを完全にやめたら、自動的に「除籍」されたという具合だ。僕に除籍の通知があったのかどうかは、もう覚えていない。
でも、八女市の実家に、教授から報告はあったようだ。その頃にはもう、僕は実家とは連絡を取り合っていなかった。でも除籍となって、さすがに驚いたのか、父親が電話をかけてきた。
「中退はダメだ。絶対に卒業だけはしろ」というような話をされた。適当に聞き流し、全面的に無視だった。地元にいれば鉄拳制裁だったかもしれないけど、遠く離れて住んでいるので、父親の怒りは、まったく届かない。まあ、どんな正論を言われようと、僕の人生を生きるのは僕自身なのだ。僕が起業してビジネスを始めるのだと決めたら、もうその通りに突き進むのみ。決定事項なので、他人の意見になんか従うわけない。
面白そうな流れに身を任せた
東京大学卒業という肩書を捨てることに、ためらいはなかった。
いろんなところで述べているのだが、日本社会において東大は卒業してもしなくても、特に差はない。東大に入ったことが、大きな信用とブランドになる。それを僕はもう獲得していた。
東大生ブランドという、実利的に得るべきものは得た。大学生活で、他に得るべきものは、もうなかった。やっと見つけた、本気でワクワクできそうなITビジネスを、始めるだけだった。せっかく4年生まで通ってもったいない……卒業ぐらいしておけばいいのに、と言われる。その「もったいない」という感覚が、僕には全然、理解できない。
面白そうなことを始められるチャンスを先送りにして、行きたくもない大学に通い、学びたくもない勉強を修めなくちゃいけない時間の方が、僕には何十倍も、もったいなく感じられる。それはおかしいのだろうか?
大学卒業を大事にして、勉強に励んでいる人を否定するわけではない。僕自身も、「卒業しなくて良かった」と考えているわけではないのだ。もし起業という、卒業にかかる手間や時間を捨てるにふさわしい、楽しそうなことが見つかっていなければ、とりあえず卒業には努めていただろう。
あのとき、僕にはやりたいことの「流れ」が、やってきた。だから別にやりたくもない大学生の暮らしから降りた。降りたというより、面白そうな流れに身を任せた、それだけのことだ。
「卒業しておけばよかったと悔しくなるときがあるよ」と、知人に言われたこともある。アドバイスとしては受け止めるが、起業以降、一度たりとも後悔はなかった。
中退したときは、むしろ、これで学生の身分じゃないから堂々と馬主申請ができる! と大喜びした。そして数年後の1999年には、馬主になる夢をかなえられた。人の意見など聞かないものだと、心から思った。(ITmedia)