キャリア

ホリエモンが社員を「切り捨て」てきた真意 サラリーマン社会も楽な方に変えられる (1/2ページ)

 本当にそれは必要ですか? 良くも悪くも、あなたの持ち物は重くなってはいないでしょうか。大切にしていた「はず」のモノで、逆に心が押しつぶされそうになってはいないか。だから、ビジネスも人生も「捨てる」ことからはじめよう。「これから」を、病まないで生きるために。

 僕は「時代の寵児(ちょうじ)」と呼ばれてから一転して逮捕・収監を経験しました。その後、令和元年、ついに日本初の民間ロケット打ち上げ実験を成功させることができました。その折々にあったのは「捨てること」「持たないこと」を徹底した思考法でした。

 もし、自分にある種の強さがあるとすれば、それは「捨てる」ことへの、ためらないのなさかもしれないと思っています。幼少期の原体験から東大、ライブドア時代と、久し振りに自身の半生をゼロから振り返った「原点」を新刊『捨て本』徳間書店)に記しました。

 逆境にあっても未来を見据えながら、今を全身全霊で生きる。そのために、捨てるべきものは何か。持っていなければいけないものは何か。ライフハック、お金、仕事から人間関係まで、「所有」という概念が溶けたこの時代に最適化して、幸せに生き抜くためのメソッドをつづっています。今回はビジネスにまつわる「捨てる」ことの意義を、3回に分けて紹介していきます。

 前編では東大を中退し、1996年にオン・ザ・エッヂを立ち上げるまでの話をしました。今回の中編では会社を運営する中で感じた「捨てる」ことの重要性をお届けしたいと思います。(※前編は昨日12月2日に掲載)

 会社が大きくなるにつれて開いた「溝」

 オン・ザ・エッヂを立ち上げたときのメンバーは、僕を含めて4人だ。そのなかには僕と同じ東大出身者もいた。大学で知り合ったわけではなく、バイト先で知り合ったので、ビジネスパートナーという認識だった。みんな年の離れていない、友人同士の関係からのスタートだった。

 創業直後から、インターネット関連の需要は多かった。時代はまさに、インターネットの黎明期。制作を受注できる専門的なスキルを持った会社の数は、限られていた。僕たちみたいな小さな会社にも、続々と仕事が舞いこんできた。創業からわずか1年4カ月で、オン・ザ・エッヂは株式会社に改組した。

 会社が大きくなっていくにつれて、創業メンバーとの溝が、開いていった。

 もともと仲良しの間柄で集まったわけではない。多少の意見のズレはあって当然なのだけど、「それは違うんじゃない?」と言い合う場面が増えてきた。社員が増え、扱う案件のスケールが大きくなり、社外からの人の出入りも激しくなって、それぞれ気持ちに余裕がなくなってきた。

 僕は銀座に家を借りていたのだけど、ほとんど帰れずオフィスに泊まる日々が、何カ月も続いていた。外食ばかりで、遊びにも行けない。若さも加わって、イライラが募り、社内で創業メンバーと口論になる……という悪循環に陥っていた。

 いろんなことがあって結局、創業メンバーはみんな会社を去った。創業直後に入社した社員の大量離脱という憂き目にも遭った。

 実体験から言うわけではないが、もし起業を望んでいるとしたら「別れたくない友だちとは、一緒に会社をやらない方がいいんじゃないの?」と伝えておこう。仲良しこよしの家族的チームでいたいと願っていても、メンバーが各々(おのおの)年齢を重ね、経験と知識を身につけていくうち、最初の仲間的な関係は、必ず変化する。必ず、だ。

 「社員はみんな家族だ」は違う

 そして、お金の問題が加わる。

 1万円、2万円ならいいけれど100万、1000万の単位になってくると、その人の本質的な価値観があらわれる。投資会議では、激しい口論になることもありえる。ぶつかり合っても気にしない、ビジネスライクな関係ならともかく、親友だとか幼なじみのような相手だったら、何倍も気まずくなるだろう。

 やがて相手は、会社から去る。すごく複雑な思いを残して。ときには禍根となることもあるだろう。

 もちろん、そのリスクを背負ってでも起業する選択はある。ただ、どんなに仲良しの仲間でも、ビジネスにおいては「いつか切り捨てる」対象になり得るのだ。よく中小企業では、創業社長が「社員はみんな家族だ」「助け合い、一丸となって頑張っていこう!」とスローガンを掲げている。

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus