だが視聴者のコミュニティが見えない場合、チャット参加をしても、イマイチ盛り上がらない。だいたい参加者が一定数を超えれば、ウェビナー(ウェブセミナー)の講師に質問をしてもなかなか回答が戻ってこない。
ライブの良さが活かされることは少なく、かつ、多くは後になって録画が見られる。ライブが無料で録画が有料という仕掛けがある場合もあるが、時間的制約を超えてライブで見たいと思うプログラムも限られている。
こういうことをネットのコミュニケーションの専門家たちも熟知していたはずなのだが、自ら手掛けないと実感できないことは多々ある、ということだ。
また、ぼくが話した相手は、次のようなことにも気づいたらしい。
「多くの人や企業は、実は動画コンテンツをパンデミック以前から持っていた。しかし、人々に十分に伝える術をもっていなかった。それをぼくたちがやればいいと分かったのだ」
だから特に新しい動画を作らなくても、コンテンツのプログラム構成力で彼らの「チャンネル」を埋めることができる。
そもそも何度も見たい前々からある質の高いコンテンツがあり、そのうえにたまたまアクセスが悪く知らなかった興味あるコンテンツがある。即ち、必要なのはアクセスの仕方を改善させることだったのである。