社会・その他

東京五輪が新型コロナで分断された世界をつなげるのか

 【1年後に思う】筑波大・真田久教授

 新型コロナウイルスのパンデミックによって、世界がいろんな面で分断されてしまった。国と国や社会が分断され、医療を十分に受けられる人と、そうでない人との格差が生まれている国もある。さらに「自分の国だけは」という保護主義的な考え方も蔓延(まんえん)してきている。

 分断されてしまった世界をもう一度つなぎ合わせなければいけない。そのために人類が共有できるものは何か、五輪とパラリンピックだと思う。差異を超えて人々が協調していくことが美しいと示すために、五輪はどのような形であれ、開催すべきだ。リモートでも無観客でも。3次元動画などあらゆるテクノロジーを駆使して実施すべきで、日本にはその技術が十分にあると思っている。

 古代オリンピックは紀元前776年に始まったが、ギリシャ国内の戦争と疫病からの復興が目的だった。あれから2800年ほど経つが、コロナ禍によって、また「原点」の問題を突き付けられた。ここで乗り越えなければ、原点で示された問題を人類が乗り越えていなかったことになってしまう。歴史的にも絶対に負けてはいけない。古代と近代の五輪の長い歴史を考えると、「東京」は大きな分岐点になると思っている。

 では、どのような五輪がいいのか。競技だけではなく、文化・教育面も含めてさまざまな人々が参加し、観戦できる形がいい。デジタル化を通して世界中の人々が五輪の価値を学べたり、交流できれば素晴らしい。世界が同時に共有できるものを作り出せるのが五輪の新しい在り方になるのではないか。それによって五輪への参画者が増え、「やっぱり平和が大事」といった考えが広まっていくことが大切だと思う。いまの五輪は規模が大きくなり過ぎてしまった。そのため開催費がかさみ、今回のような危機対応も難しくなっている。規模を縮小し、開催時期についても柔軟に対応できるようにすべきだと思う。

 今回のパンデミックがWHO(世界保健機関)から宣言されたのは、くしくも東日本大震災が起こった日と同じ3月11日だった。東京大会は、日本の復興だけでなく、世界の復興の意味を必然的に持ったということ。どんなにウイルスが押し寄せようが、われわれは絶対負けないという意思表示をするような大会になってもらいたい。日本の五輪初参加に尽力し、「日本スポーツの父」でもある嘉納治五郎が生きていたら、そう言ったのではないか。「パンデミックだからこそやるべきだ」と。(聞き手 久保まりな)

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