キャリア

理系出身の財務官僚は、なぜ“最強官庁”財務省を辞めたのか? (1/3ページ)

 気鋭の経済学者として注目を集めている小黒一正教授。財政再建を重視する元財務官僚らしく、マクロ経済のみでなく、財政赤字が恒常化するなか、日本財政の先行きにも危機感を募らせている。コロナ対策についても、償還の議論とセットになっていない国債発行に警鐘を鳴らす。もともとは理系の学者志望がなぜ経済の道へ、そして官の世界からなぜ研究者に転身したか。背景を聞いた。

根っからの理系学生が経済に関心を持った

 石川県の山代温泉にホテル百万石という旅館があります。昭和天皇も宿泊されたその老舗旅館が私の祖父の生家です。兄弟姉妹は13人と多く、このうち祖父は双子なのですが、当時はその片方を養子に出す慣習があり、祖父は、硬質陶器などの経営をしていた小黒安雄氏(石川県出身)の養子になりました。このため、私も小黒姓です。祖父の双子の兄は戦後に「回転式黒板」「ホワイトボード」「電子黒板」を発明した日学の創業者で、吉田富雄という人物です。

 祖父は戦前、陸軍士官学校を経て軍人になり、生家が資産家の祖母と結婚しましたが、太平洋戦争に突入して敗戦。戦後、俳優の上原謙氏がオーナーだった映画館の経営を依頼されたり、国際観光ホテルの取締役を務めながら帝国ホテル内にギャラリーを設立したと聞いています。その後、画廊は東京駅付近に移転しましたが、その傍ら瀬島龍三氏らが設立した同台経済懇話会の幹事もしていたそうです。なお、私の父は鹿島建設を経て祖父の画廊を継ぎました。

 私自身は東京都国立市で育ちました。高校は自宅から自転車で10分の所にある都立国立高校でした。その頃から将来の進路として学者の世界を候補の1つにしていました。家系がビジネス系なので、なんとなく反骨心を抱いていたのかもしれません。

 当時、興味を持っていたのが物理学と数学です。高校生のとき、数学界のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を獲った広中平祐先生が創始した「数理の翼」に応募して合格し、夏季セミナーに参加しました。参加者には数学オリンピックでメダルを獲った学生や、博士課程に進学中の10代のイギリス人女性もいて、私にはとてもいい刺激になりました。

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