ぼくが高校生から大学生だった1970年代後半から1980年代初頭、「東京はダサい」という表現が横浜でまだ流通していた。ソウル音楽華やかりし頃、横浜の本牧では皆が決まったステップを踏んで踊っていた。一方、東京のそういう場所にいくと、各々がだらだらと踊っていてちっともカッコよく見えなかった。多分、進駐軍文化にもっと勢いのあったこれ以前の時期は、その傾向(「東京ダサい」)がさらに強かったはずだ。
他の米軍人の多い横須賀や立川などと横浜が違う点は、スカンジナビア諸国の船員が横浜に住み着いてレストランやバーなどの商売に関わっていたことだろう。あるいは元町に輸入商の店がある。港に停泊する外国船に食料や資材を供給するシップチャンドラーに存在感がある。こういうことだっただろう。
ぼくは横浜のそうしたバーなどで酒を飲みながら20代を過ごしていた。だが「古き良き横浜はもう終わったな」と次第に思うようになった。JR桜木町駅の海側にあった三菱重工業の横浜造船所が閉じ、跡地の有効利用が検討され、そこに丹下健三が設計する美術館の建設が決まったころだ。
1980年代半ばか。
横浜発のものが全国に広がるのではなく、東京に輸入されたものに横浜の人たちが従うようになっていた。その一つの象徴が1989年、米軍住宅地跡にニチイ・マイカルがオープンした「マイカル本牧」だった。
“ドイツのヒューゴ・ボスやイタリアのミッソーニなど有名ブランドが並ぶファッション棟と、都心の百貨店に負けない高級志向の品揃えだった。(中略)マイカル本牧の業績はバブル崩壊とともに下降線を辿った。駅から遠い立地にもかかわらず都心の百貨店並みの高級志向の店構えはあっという間に時代遅れになった。”
上記は柳瀬博一さんの『国道16号:日本を創った道』(新潮社)にある一文だ。2011年にマイカルは経営破綻してイオングループに吸収される。