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社会学的見地からラグジュアリー研究 正月早々、背筋がピンとした“出会い” (1/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 自分が頭で考えているということは、どこかで同じことを考えている人がいる証のようなものである。しかしながら、そういう人が世界に何人くらいいて、どこに住んでいるかはまったく分からない。

 似たようなことを考えている人まで含めれば、もう少し顕在化してくる。そこでその人の書いたものを読んだり、直接話を聞いたりする。すると、「確かに近いけど、どうも最初の想いの違いが考えの差異を生んでいるのでは?」と気づき、不即不離でいこうと決意する。どこか具体的なことで交差するだろうとの期待はもちながら。

 一卵性双生児にみるように、まったく同じ日に同じ場所で生まれ、同じ環境で育っていても考え方は異なるものだ。だから考えがまったく同じことはあり得ないが、肝心なのは「この人は同じことを考えている!」との実感である。

 さて年明けの一発目の仕事で、こういう実感をもった。

 米国東海岸で仕事をしているハンガリー人女性へズームでインタビューをした。年末にまったく偶然目にした記事から執筆者の考え方に関心を抱いた。それで彼女の書いた記事を何本か探した。「うん、いける匂いがする」とぼくの嗅覚が反応した。ぼくが2年間ほど追っている新しいラグジュアリーがテーマだ。

 過去、ラグジュアリーがどうあったか。何をラグジュアリーの条件とするか。こういう過去や現状の分析についてはマーケティングの研究者たちがさまざまなところで語っている。ぼくはそういう人たちと会い意見を聞いてきたが、彼女はドイツの大学で社会学の観点からラグジュアリーを研究し博士号をとっていた。

 これはまったく会ったことにないタイプだったのだ。即、インタビューのアポを申し込んだ。

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