実は、長い間、ぼくは不思議に思っていることがある。それは個人的経験を記事や書籍の冒頭にもってくるスタイルが、日本では採用されにくい習慣だ。
欧州や米国の新聞記事であれば、戦場に出向いたジャーナリストは空港に到着した時に感じた匂いから書き始める。惨状の手前にある花の香かもしれない。本であれば、自宅の台所の使い勝手の悪さが冒頭に記述され、大きな社会的問題の指摘に繋げていく。
ズームアップからズームアウトしながら全体像に迫るよう描くわけだ。個人的経験や動機を重視するのだ。それによって文章の前提がはっきりする。
他方、日本の記事や本でこうした手法は主流ではなく、客観的とされるズームアウトから攻め込むパターンが多い。前提とするのが「こう考える人が多い」と他人のセリフを借りた世論であったりする。
したがって、主語が誰であるのかが分からないうえに、観測的内容が蔓延しやすい。そこに冒頭で述べた、偉人の名言である。
根拠と動機が曖昧なところに、権威のある言葉を被せているような気がしてしまう。それによって全体の輪郭が歪み、ますますぼんやりとしてくる。
そう、名言を使うのが悪いのではなく、名言を使うコンテクストに疑問符がついてしまうのだ。