地方の田舎に住めばー閉鎖的なコミュニティにぶち当たるかもしれないがー自然が豊かな環境でゆっくりとした時が過ごせると言われる。自然のリズムと生活の調和が問題にされる。そして「人間らしい生活が送れる」は個人的な趣味や生き方の選択のレベルで語られることが多い。
しかし、それらのレベルだけで論じているのでは不十分である。人間が人間として大切にされる点に注目するべきなのだ。あえて誤解を恐れずに表現すれば、人の権利というよりも、人の存在として原初的な価値に目を向ける、ということになるだろうか。
また、経済効率というレベルだけで東京一極集中か地方分散かと議論していると、地方で生活しながらも自分の子どもを東京の高偏差値大学に進学させられるか?という悩みともつかぬ歪な思考経路を辿ることになる。
その考え方が適切ではないと必ずしも言い切れない。ただ、それを大前提にした地方移住とは何なのか? は自問するのが適切だろう。
分散型システムとは人の尊厳と密接な関係にあるテーマであると意識すると、こうしたさまざまな点の見直しが迫られていることに気づく。思った以上に根源的な視点の転換を問うているのだ。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。