フリーランスの進路相談室

混乱を経て格差がひらく? 歴史に学ぶ 2025年に生きるフリーランスの希望 (2/4ページ)

Workship MAGAZINE
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■不安定な「請負」の仕事を支えた、家族や地域の人間関係

小熊:ただ、昔の日本人の多くは、そういった労働だけで生きていたわけじゃないんです。賃金も低いし、先の保障もないわけですから。

山中:現在の派遣社員やフリーランスの方にも似た状況の方は多いですよね。では昔の「請負」の人たちは、どうやって生活を成り立たせていたんですか?

小熊:家族関係や、地域の人間関係に頼っていたんですよ。いまでもそうですけれども、一人の稼ぎ手の賃金だけで家族全員が生活している人は、それほど多くない。おそらく全就労者の3割を大きく超えたことはないでしょう。残りの人たちは、世帯のなかで複数の人が働いていた。男性の賃金だけでは足りないので、女性が働くわけです。場合によっては、子どもも老人も働く。

 たとえば農家の女性は、個別の仕事を請け負って、家庭内で内職をすることが多かった。雑貨や繊維製品を作って、一個いくらで納品するわけですけども、単価はものすごく低い。それでも、自分たちの食料を自分たちの農業で作り、また夫が農業や出稼ぎや請負の仕事でお金を稼ぎ、娘や息子もいろいろな仕事をして、全員の収入を合計して生きていた。

山中:農家の副業として「請負」の仕事をしていたと。

小熊:いいえ、本業か副業か、なんて風には分けられないですよ。その年によって農業が不況だったら請け負う仕事を多くしたでしょうし、農業が好調だったら減らしたでしょう。育児が忙しい時期なら請負の仕事を少なくしたでしょうし。

山中:ああ、なるほど。あるひとつの仕事の収入で生活が成り立つことを前提に、仕事を「本業/副業」と分けるのは、いまの会社制度ができた現代になってからのことなんですね。

小熊:そういう風にもいえるでしょう。そして当時、年によって収入が変動する不安定な暮らしでも成り立っていたのは、地域の人間関係があったからです。たとえばみんなでお金を出し合って、冠婚葬祭など、個人が困った時にそのお金を利用する「無尽(むじん)」と呼ばれるようなシステムを発達させてきました。山梨では特にさかんで、江戸時代の落語なんかにもたくさん出てきますね。

山中:つまり、戦前は会社で雇用されている人以外に、家族関係や、地域の人間関係のなかで生きていた人たちもいた。

小熊:むしろそういう人がほとんどだったと言った方が正しいですね。1920年に日本で初めて国勢調査が行われ、その後に政府はいろいろな調査をしたのですが、「正規の職員・従業員」という分類ができたのは1982年からです。有業の人の区分としては、「仕事が主な者」「仕事が従な者」というものが使われていました。

 たとえ収入が多かったとしても、家事が中心だと思っている女性は「仕事が従な者」と分類されたでしょう。また農業以外の収入が大部分であっても、農業をやっていれば「兼業農家」と分類されたでしょう。

 そういう統計のとり方が象徴するように、一つの仕事だけで生きていた人はむしろ少なかった。高度成長期以前は、農業をやりながら、内職や建設で一時的な仕事を請負ったり、あるいは出稼ぎで一時的に期間工になっていた人が多かったんです。それらの一つひとつは、それだけで生きていけるような仕事ではない。家族や地域の協力関係で、それらの収入をかき集めることで成り立っていた。

 ただし、これは会社勤めでも原理的には同じです。企業は産業の一部を分業して請負い、企業のなかの個々人はその企業が請負ってきた仕事の一部を分業しているわけです。一人で生きているわけではなく、企業のなかの関係性や、企業がその産業や社会のなかで維持している関係性のなかで生きている。

 企業との関係が継続的契約だと「雇用」になり、それが一回ごとだと「請負」に分類されるわけですが、どちらにせよ関係のなかで生きていることに変わりはない。

 要するに、ある種の社会関係、もう少し専門的な用語を使えば「社会関係資本」、つまり信頼関係や社会的ネットワークを含めた人間関係をどこから得ているのかという話です。

 会社から社会関係資本を得ている人たちと、地域や家族から社会関係資本を得ている人たちがいた。ただし、そのどちらからも得られない人はいつの時代もいて、そういう人には貧困に陥る人が多かった。このように整理すれば話は分かりやすいでしょうね。

山中:現代のフリーランスと直接つながるかはわからないですが、「請負」で働いていた人々にはシンパシーを感じます。

小熊:「請負」で働いていた人のなかにも、高度成長期以後になると「雇用」を選ぶようになった人も少なからずいました。その一番大きな理由は、社会関係と生活の安定があった方が良かったから、ということだと思います。

山中:組織に雇用された方が生活が安定するということであれば、「雇用」を選ぶのは自然ですよね。

小熊:しかし1950年代くらいまでは、「終身雇用」や「年功序列の賃金システム」、そして「新卒一括採用」といった雇用慣行は、一部のエリートだけに適用されていたんです。

 継続的な雇用を提供できるような企業も、それが保障されるような人も、それほど多くなかったからです。大企業であったとしても、会社の中で、ホワイトカラーとブルーカラーで格差があった。戦前は、前者は継続雇用で年功賃金、後者は雇用保障もなく昇給もない、というのが通例でした。

 それが戦後の民主化運動の中で労働組合が組織されると、「同じ会社の労働者はみんな平等であること」を会社と交渉し、実現していきました。そこで「終身雇用」をはじめとする雇用慣行も、社員全員に適用されるよういなっていった。しかしそれが実際に広く実現したのは、高度成長期なってからです。

 労働組合がある会社に雇用されていたほうが、明らかに労働条件がいいし、賃金も高いし、社宅とか社会保障もある。となったら、会社で雇用される方を選ぶようになるのは当然のことだったろうと思います。

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