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“冬の時代”くぐり抜けた日本のサッカーファンたちに「ごめんなさい」 (2/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 1990年代、日本の人たちが「俺、サッカーのこと昔から知っているんだぜ」とわざわざ自慢げに話す背景が分からなかった。「実はサッカー少年だった」「海外の試合を見るにテレビ東京の番組・ダイヤモンドサッカーを見ていた」と告白気味に話すものだった。

 1993年、Jリーグが発足し2002年のワールドカップ招致に盛り上がっていた頃の話だ。

 ぼくは1990年からイタリアにいたので、1990年のイタリアのワールドカップあたりから欧州にリサーチや研修でくる日本のサッカー関係者たちと雑談する機会があった。彼らはリーグや代表チームのコーチや監督だ。

 その彼らが好んで話すのが、1968年のメキシコ五輪での銅メダルを頂点とした日本でのサッカーブームだった。学校のサッカー部の数も倍になった時代である。

 野球の巨人9連覇とも時代が重なる、その黄金時代を現役として過ごした人たちが、メキシコ五輪の頃を懐かしむのである。

 ぼくが本を読んでびっくりしたのは、メキシコ五輪の銅メダルに至る前の日本におけるサッカーの認知度の低さである。

 その4年前の東京五輪の頃、ヘディングを見て笑い出す観客がいたという。また小学生向けの五輪パンフレットには「選手の迷惑になるので静かに観戦しましょう」と注意書きがあったのだ。

 メキシコ五輪で釜本邦茂と共に大活躍した杉山隆一が1954年、静岡の中学のサッカー部に入った際の父親との会話がふるっている。

 「サッカーってなんだ?」と聞かれたので「手を使わずに足でボールを蹴るスポーツだ」と息子が答えると、「なにいッ、手を使わんだと。せっかく五体満足に生んでやったのに、おまえっていう奴は!」と怒鳴られたのだ。

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