【働き方ラボ】あなたの職場に「困っている人」はいないか? 自分と向き合う東京パラリンピック

2021.8.26 07:00

 我が国では2回目の開催となるパラリンピックが始まった。オリンピックの開会式はテーマが見えない、出るべき人が出ていないなどと酷評されたが、パラリンピックの開会式は「空港」と「片翼の飛行機」というコンセプトが明確で、布袋寅泰のサプライズ登場などもあり、評価は概ね上々のようだ。

 今回はこれを機に「困っている人」との向き合い方について考えたい。近年「多様性」が叫ばれて久しいが、叫ばれ続けているということは、それが実現できていないことを物語っているようにも思える。パラリンピアンたちの活躍に涙しながらも、目の前にいる「困っている人」に無頓着になってはいないか。

 その「困っている人」は、身体が不自由な人だけではない。パラリンピックを機会に、「立場が弱い人たち」のことについて考えてみよう。

 選手のありのままの物語に注目を

 パラリンピアンたちには物語がある。まずは、彼らがどのように困難を乗り越えてきたのかに注目したい。

 言うまでもなく、選手たちの人生も、抱えている障がいも多様である。先天的に心身に障がいを持って生まれた人もいれば、病気や事故によって人生が変わった人もいる。もともと他のスポーツでアスリートとして活躍していた人も、スポーツとは無縁だった人が身体が不自由になって、パラスポーツを始めたことでパラリンピックに出場した例もある。

 さらにはオリンピック選手たちと同様、この新型コロナウイルス禍でスポーツをすること、パラリンピックに参加することについての葛藤もあるだろう。それらを選手たちはどのようにして乗り越えるのか、メディアが特集を組む際はぜひ注目してみてほしい。

 今日は「人生100年時代」と言われて久しい。日本人の平均寿命も健康寿命も伸びており、世界トップクラスである。ただ、長生きするということは、突然健康上の変化が起こりうるということだ。仕事をする上でも、常に自分自身の健康と向き合いつつ働かなくてはならない。

 パラリンピアンと向き合うことは、未来の自分と向き合うことにもつながるように思える。それは、職場や取引先で、心身の健康問題を抱えて働く人たちを理解する上でもだ。そういう視点でパラリンピックを考えたい。

 いま、そこにある「生きづらさ」について

 やや語弊があると思うが、目に見えない心身の不自由というものがある。たとえば、心の病に苦しんでいる人や、発達障害の当事者などだ。

 フリーライターの姫野桂さんは、発達障害の当事者である。これまで発達障害をテーマに書籍を書いてきたが、このたび初のエッセイ『生きづらさにまみれて』(晶文社)をリリースした。彼女自身の、いや今どきの日本社会の生きづらさが、ここによくまとまっている。特に鬱やリストカット、発達障害、コロナによるアルコール依存などの当事者としての告白が生々しい。

 あなたの職場にも、体調が悪い人、うまく馴染んでいない人はいないだろうか。真面目に取り組んでいてもミスが多い人などをみたら、責めるのではなく、まず「生きづらさ」と直面していないかを考えてみてほしい。

 目に見えない「困っている」を抱える当事者として

 実は私自身、身体のことで「困っている」当事者である。色覚異常者なのである。よく、友人・知人や家族から「鮮やかな色の服を着ていますね」「髪の色が綺麗ですね」と言われる。いや、服を買うのは好きだし、10代の頃から髪には色を入れている。ただ、どうやら私が認識している色は、正確な色とは異なるようなのだ。

 色に関して、噛み合わない会話をしてしまうことが日常的にあり、その度に、自分が見ている世界は普通ではないのだと認識する。たとえば、大学の入学式や卒業式、政府・自治体関連の仕事をするときのためにスーツを購入した際も「ダークスーツを買った」「黒いスーツを買った」と言うと、妻から「これ、とても鮮やかな青なのだけど」「黒ではなく、濃い紺なのだけど」と言われることがよくある。ガラケー時代に「このシルバーのケータイください」と店員に伝えたところ、「これはピンクなのですけど」と言われたこともある。ヘアカラーにしても、信頼しているスタイリストのオススメでアッシュ、バイオレット、シルバー、ピンクなどを気分で入れているのだが、他の人には私が思うよりもずっと明るく見えているらしい。

 色覚異常者は、障がい者ではない。とはいえ、世の中が違う色合いに見えている。この目に見えない違い、たまに話が噛み合わないときに感じる疎外感を胸に生きている。

 「かわいそう」論をこえて

 さらに自分語りをするならば、私自身、身体が不自由な人だらけの家庭で育った。父は私が生まれる前から脳腫瘍のため身体が不自由で、39歳で他界した。私が小5のときに亡くなったわけだが、入院期間が長く、一緒にいた時間は短かった。祖父は人工透析をしていた。祖母は心臓が弱かった。この家庭を支え、私と弟を育て上げた母には心から感謝している。

 もっとも、病気だった家族たちが不幸だったのかどうかについては、簡単には答えられない。楽だったわけがないとは思うが、不幸だと断じられるのか。病気や障がいは「違い」であり「向き合うもの」と捉えることもできる。

 今さら健康な父や、ましてや今、生きている父を想像することはできない。右手しか動かないにも関わらず、本とペンを手にし続けた父は大変な想いをしたと思うが、それ以外の父が想像できないのである。

 私が企業で人事を担当していた頃は、自治体が主催する障がい者の採用イベントに参加したこともある。そこには、自身の人生、宿命と向き合いつつ「働きたい」という想いを胸に、自分を売り込もうとする人たちの姿があった。胸が熱くなった。

 病気や障がいと向き合っている人を単に「かわいそう」と捉えるのもまた違うと考える。私たちは常に何らかの環境的宿命と向き合っている。向き合っているものが違うのだと。その意味で、私たちは仲間なのだと。

 パラリンピックについても、障がい者かわいそう論や感動ポルノとしてではなく、ありのままの勇姿とその物語、葛藤を目撃しよう。新型コロナウイルス・ショックが猛威を振るう中の開催の是非などを含め、考えよう。そして、さまざまな立場の人に対する想像力をはたらかせみてはいかがだろうか。

36402

常見陽平(つねみ・ようへい)

images/profile/tsunemi.jpg

千葉商科大学国際教養学部准教授
働き方評論家 いしかわUIターン応援団長

北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。リクルート、バンダイ、クオリティ・オブ・ライフ、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部准教授。専攻は労働社会学。働き方をテーマに執筆、講演に没頭中。主な著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

【働き方ラボ】は働き方評論家の常見陽平さんが「仕事・キャリア」をテーマに、上昇志向のビジネスパーソンが今の時代を生き抜くために必要な知識やテクニックを紹介する連載コラムです。更新は原則隔週木曜日。アーカイブはこちら。その他、YouTubeチャンネル「常見陽平」も随時更新中。

閉じる