【ローカリゼーションマップ】アフガニスタンの現状に思う 全体像は分からずとも…見える“人の移動”

2021.9.3 06:00

 ぼくがイタリアで生活をはじめた頃、ボスに「イタリアは先進国の顔をしたジャングルだと覚悟するように」と言われた。1990年のことだ。

 長きフランコ独占体制がおわり、民主主義体制になったのが1980年代に入ってからのスペインの方が大企業進出が容易く、それと比べると同じ南欧のイタリアは「ややこしい(反社会的)事情」が多く、進出を敬遠することが多いと言われた時代だった。 

 ハリウッドのイタリア移民のさまざまな映画を観ても、それなりに想像できることだったが、あのスペインよりも裏事情が絡むというのは、イタリア初心者のぼくにはなかなか想像しがたいことだった。

 イタリアの1970年代はテロ事件も多く、1980年代に入っても人々を震撼させることには事欠かないが、そうした社会が終焉に近づきつつあった1990年代、欧州連合の成立があらゆることを透明化するに貢献した。

 1990年代前半、いろいろな役所仕事が紙で処理されていたので、窓口で延々と自分の人生を語る人が後を絶たなかった。とにかく論理と情が上手く説明できれば、役所の人間は「なんとかしてくれた」。

 それが1990年代後半、EUの統一的な方法の浸透とともに徐々に情報がデジタルデータ化され、窓口の人間の一存で判断したことが後になって監督部署から追及される確率が高まっていく。それでも、表に出てこない事情は沢山あるだろうことはよく分かっている。

 イタリアの昔語りをしたいのではない。

 アフガニスタンの政権交代にまつわる多様な報告や意見を記事で読みながら、「この人たちの語りは、どれだけの理解に基づいているのか?」との疑問がどうしても離れない。

 1990年代であろうと今日であろうと、アフガニスタンが1990年以前の「イタリアはジャングル」以上のジャングルであることは想像に難くない。

 ぼくがおよそ30年イタリアで生活してきて、自分で確信をもって言える唯一のことは「誰も一人で、ある国の全体像とディテールを語れるはずがない」ということだ。

 外交官は全体のデータと政府や行政のトップの情報はある程度把握しているだろうが、田舎で生活している農民の生活感には疎い。農民の心情を感じ取れる人は、国の外交政策の背景を知らない。

 イタリアにおける異邦人によるイタリア像、イタリア人によるイタリア像、これらに接してきて思うのは、どれもが嘘のない現実でありながら、その現実は大きな現実の一片でしかないと痛切に感じる。

 それはジャングルだからではない。全体像とはそういうものだからだ。

 日本に限ったことではないが、日本(母国)で生まれ育ったからといって日本(母国)のことがすべて分かるとは決して言えないのは、日本(母国)にいる人はよくわかっている。

 それなのに、異邦人として外国に住んでいる人の当該国の話を結構簡単に信じ込む傾向にある。特に、アフガニスタンのような凄まじく「ジャングル」である国については、その振りは大きく、一度のインプットがそのまま生き続ける確率も高いはずだ。

 些細なことが大きく捉えられ無駄にエネルギーが使われ、大きなことが些細なこととして注意を払われない。

 アフガニスタンの現状を報告する各国の人たちの記事、あるいはアフガニスタンの人たちの直接の声を読みながら、これらの情報をどう理解すればよいのかよく分からない。

 基礎的な知識や経験がまったくないのだ。それなりの種類と数の解説を読んで思うのは、「把握するのがえらく難しいのが確認できた」である。

 あらゆることを全部知ることはできない。あらゆることを実感するのはもっと難しい。しかも地域として統一的な制度が適用されていないと、さらに理解が難しい。 

 ただ、ここから多くの人数の難民が生じつつあるのははっきりと分かる。そして、それらの人たちが世界各国に散らばっていっていることも明白だ。

 アフガニスタンの現状や背景が分からなくても、人の移動は目にはっきりと見える。その人たちの多くが生存を続けるに困っていることも想像できる。そして、人が人として扱われない精神的苦痛を伴っていることも、だ。

 冒頭の話をボスがしてくれたとき、「イタリアは中東やアフリカとヨーロッパのつなぎとしての役割を長く負ってきた。外交政策もその文脈で理解すべきだ」とも聞いた。

 今起こっていることを現実として受け止め、その現実の裏にある背景を分かろうと努力をしながらも、押し寄せる人の波を波としてイタリアで物理的に感じる日が迫っている。

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安西洋之(あんざい・ひろゆき)

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モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター

ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。

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