なぜ本能寺の変にまつわる研究には珍説・奇説が多いのか

今回は表題のとおり、なぜ天正10年(1582)6月に勃発した本能寺の変の研究に関しては、珍説・奇説が多いのかを考えてみたい。最初に、簡単に本能寺の変の概要に触れておこう。

天正10年(1582)6月2日未明、備中高松城(岡山市北区)へ向かったはずの明智光秀は、突如として進路を変更し、織田信長が泊まっている本能寺に行き、襲撃した。光秀の襲来を予想していなかった信長は、あっけなく自害に追い込まれた。

しかし、信長を討った光秀も11日後の山崎の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に敗れ、戦場から逃亡する途中で土民に襲われ、あっけなく落命した。大きな問題として残ったのは、「なぜ光秀は信長を討ったのか?」ということになろう。この点については、変が起こった直後から、さまざまな説が流布していた。

ところで、話は少し変わるが、歴史研究というのは、信頼できる史料によって行われねばならない。信頼できる史料というのは、一次史料である。一次史料とは、同時代に書かれた書状や日記などである。しかし、いかに同時代の書状や日記であっても、間違いが書かれた可能性がある。

史料の違い(SankeiBiz編集部)
史料の違い(SankeiBiz編集部)

ゆえに、歴史研究では史料批判という作業が欠かせない。史料批判とは、書状などの文体や文言、紙の質、花押の形状などなどを子細に調べ、歴史史料として使用できるのかを確認することだ。ここで問題がなければ、そのまま研究に使うことができる。

一方、二次史料というものがある。二次史料は後世になって記述、あるいは編纂されたものである。軍記物語や家譜などが該当し、一般的には一次史料よりも質が劣るといわれている。その理由は、どこにあるのだろうか?

後世に成った史料は、何らかの意図があって編纂される。たとえば、家譜は単に家の歴史をまとめるだけでなく、先祖を顕彰する意味合いでも編纂される。したがって、仮に事実であっても、先祖の悪いことを書かない。

黒田家の歴代(黒田官兵衛など)を記した『黒田家譜』は、17世紀に成立した。そもそも藩主が命じて、貝原益軒に書かせたものなので、黒田家歴代当主に関する悪いことは一切書かれていない。そういうものなのだ。

話は戻るが、光秀が信長を襲撃した動機については、一次史料にまったく書かれていない。そこで、二次史料に拠るか、周辺の状況(たとえば、光秀と信長との関係)から考察を進めなくてはならない。古典的な説では、二次史料に基づく怨恨説が圧倒的だった。

怨恨説でおなじみなのは、光秀が信長から酷い仕打ちを受けたという話である(いろいろなパターンがある)。小説、テレビドラマ、映画などで繰り返し再生産され、私たちの脳髄にすっかり刻み込まれている。とはいえ、怨恨説は二次史料に基づいた荒唐無稽な話が多く、まったく信が置けないのである。ただの与太話にすぎない。

しかし、近年になって織豊時代の研究が進展すると、さまざまな史料を駆使して新説が提起された。いわゆる「黒幕説」である。それぞれの論者は自説を「~黒幕説」とは命名していないが、便宜的に「~黒幕説」とネーミングしておこう。

「朝廷黒幕説」もその一つである。戦前において、信長は御所を修理するなどし、朝廷への奉仕者と評価された。しかし、戦後になって天皇への風当たりが強くなると、「実は、信長は朝廷を蔑ろにしようとしたのではないか?」という観点から、研究が進められた。

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