聖火リレーが先月、宮城を走りました。
ただただ明るく晴れやかだった1964年の聖火リレーとは違って、曇り空の下で地元の人たちだけの沿道からの応援は、拍手や旗を振るなどに限られていました。
それでも聖火をつなぐ人たち-震災で亡くなった娘の名札を胸にしたお父さん、夫を亡くした女性、途絶えかけたお祭りを守った人-は皆、喜びと感謝にあふれたすてきな笑顔でした。
人もまばらで、大きな声援もない沿道のうしろには、直接応援に出ることを我慢して、TVの画面越しに参加している大勢の人たちがいるはずです。
「この状況でまだオリンピックをやる気なのか」との批判があるなかで、こんなに抑制し、静かに粛々と、希望を捨てずに開催に努力できるのは、日本人だからだなぁと思います。
復興後に新しく造られた海沿いの町と町をつなぐ道を、ランナーと後に続く車列が静かに進むさまは、厳かな慰霊の祀(まつ)りのようでした。
華やかで世界の耳目を集める画期的な祭典になるはずだった東京五輪が、思いもかけぬ禍(わざわい)の中で、観客は限られ、寂しいものになってしまっても、その感動は57年前のそれに劣らぬものになると思います。
「お・も・て・な・し」で選ばれたあの日から、生涯に2度、自国開催を楽しめることを喜んでいたのが、この状況。
でも、これが人生ですね。
どうかどうか、これ以上の禍にならず、無事にオリンピックが開催され、皆の喜びに変わりますように!
千田章子 59 仙台市青葉区