「期待は失望の始まり」
外務省時代にアラビア語を研修し、中東勤務も何度か経験した筆者の格言がこれだ。かの地で物事は基本的にうまくいかない。楽観しても期待は常に裏切られてきた。いつの頃からか、筆者の中東分析はまず悲観論で始まるようになった。
イラン新大統領就任
8月第1週にも予定されるライシ・イラン新大統領就任も同じだ。懸案である米国との核合意交渉も「妥結は近い」と報じられて数週間たつが、そもそも楽観報道を信じる方が間違っている。
交渉の出口は見えない。最大のネックは、米国が合意復帰と同時に、イランに中東各地での反体制派支援やミサイル開発の停止を義務付ける新合意締結を求めたことだといわれる。さらに気掛かりなのは、最近イランが濃縮度20%のウラン「金属」製造をIAEA(国際原子力機関)に通告したことだ。同じ濃縮度でも金属化すれば、それは核兵器製造に直結する。
イラン保守派は対米強硬論一辺倒だが、穏健派は核合意の早期妥結を求めている。保守派の新大統領にこの難局を乗り越える力量はあるのか。筆者はやはり悲観的だ。
米軍撤退後のアフガン情勢
アフガニスタンでも異変が起きている。米軍撤退開始以降、タリバンは各地で政府軍に対する攻勢を強めている。彼らは「交渉」と「攻勢」を使い分け、イスラム国家再建を虎視眈々(たんたん)と狙っている。
米国はアフガン現政府支持を継続するというが、米軍撤退は「力の真空」を作り、その「真空」は必ず誰かが埋めに来る。これは数千年間、中東で繰り返されてきたこと、米軍撤退だけが例外であるはずはない。さらに、ここでもイランは水面下で仲介努力、対米揺さぶりを続けている。いずれ、タリバンが全土を制圧する可能性は高いだろう。
イラク、シリアへの飛び火
これだけでも十分悲観的だが、さらに懸念材料がある。最近イラクで米国・イラン間の「代理戦争」が再び激化し始めたからだ。恐らく理由は「イラン核合意」再交渉の行き詰まりだろう。イランはイラク国内に革命防衛隊やシーア派武装集団を展開している。イラク政府関係者も、最近の戦闘の激化は「前例がない」と嘆いている。現時点で死者が出たという情報はないが、核合意交渉の行方次第では戦闘が激化する可能性は十分ある。しかも、イランはイラク国内だけでなく、シリアでも同様の攻勢を行う力がある。「直接戦闘」未満の米イラン戦争は当面終わりそうもないのだ。
気が滅入(めい)るので、このくらいにしよう。筆者の懸念は中東の不安定化自体より、それがバイデン米政権の外交安保政策に及ぼす悪影響である。
アジアに帰ってきた米外交
幸い、バイデン政権は「中国との競争」を外交安保政策の最優先課題に位置付けた。日本にとっては苦節10年、2010年の尖閣事件以来、ようやく米外交がアジアに帰ってきたという思いだ。3月の日米2+2(外務・防衛閣僚会合)から日米首脳会談、NATO(北大西洋条約機構)首脳会合まで、米同盟国間で対中政策のすり合わせが進んでいる。先の米露首脳会談でも、対中政策で一致こそなかったが、プーチン露大統領はバイデン大統領の意図を正確に理解したに違いない。
ワイルドカードは中東?
筆者には苦い教訓がある。01年春、当時の米国ブッシュ新政権は中国に厳しかった。ところが、9月に米中枢同時テロが発生、「テロとの戦い」で米中の妥協が成立する。米国は中国のウイグル政策を事実上黙認したのだ。今回こそは中東情勢激変による米外交の「先祖返り」を何としても回避すべきである。
◇
【プロフィル】宮家邦彦
みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。第1次安倍内閣では首相公邸連絡調整官を務めた。現在、内閣官房参与、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。