話の肖像画

    デザイナー・コシノジュンコ(81)(20) 出産、子育て…仕事と同じで大丈夫

    (19)へ戻る

    《パリコレに初参加して以降、これまで以上に仕事が楽しくなった。デザイナーとしてこれからが勝負のとき―。そんな矢先、人生の転機が訪れた》

    香港を訪れているとき、何やら体調に異変を感じました。いつもだったら、海外に行くと夜の街に繰り出して、むしろ調子がよくなるのに、変だ。遊びには行かず、ホテルでゆっくりすることに。いったいなぜ、病気だろうか―。日本に帰国してすぐに、内科に駆け込んでみると、医師から思いがけないことを告げられました。

    「おめでたです」

    結婚して5年もたっているのに、こんなことがあるのか!

    これまではとにかく仕事に夢中で、実は子供がほしいと思ったことはなかったのです。なんの前触れもなくやってきたので、心底驚きました。

    夫に妊娠を伝えると驚かれ、友人たちからも「ジュンコって女だったの? 初めて知ったわ!」なんてびっくりされる始末。かくいう本人が一番驚いているのですから、無理もありませんね。

    「これは大変、事件だ」。そう思ったことを覚えています。

    《1980(昭和55)年、40歳で出産後、生活が一変した》

    あれだけ遊んでいたのに、一切飲まないし、遊びに行かなくなってしまいました。ディスコのようにガンガン音楽がかかっているところも苦手になりました。体が受け付けないのです。

    出産後にはまるっきり興味がなくなってしまって、すごくまじめな人間になりました。ところが、これがよくなかった。

    せっかくパリコレに進出し、ノリに乗っているときだったのに、私本来の面白みがなくなり、「らしさ」を少し見失っていたのかもしれません。

    これが復活したのは、1996(平成8)年にショーを行った、キューバとの出合いでした。キューバの音楽やダンス、自由な国民性が性に合っていて、私らしさを取り戻すきっかけになったのです。

    自分の中に音楽が、リズムが生まれるようになり、「自分らしく生きればいい」と、若いころの感覚が戻ったようでした。

    《子育ては、仕事の一環と考えていた》

    私には主婦という経験がありません。もちろん仕事一筋でしたからね。子育てについては「ファッション以外に少し大きな仕事が増えたな」という感覚でした。私が仕事をしていない人だったら、おろおろしてしまっていたかもしれませんが、「仕事と同じようにこなせば大丈夫だ」という自負があった。息子に対してはちょっとかわいそうだったかもしれないけれど、「これができないとプロじゃない」と思っていました。

    子供がいても仕事ができるというのは、かっこよさの典型だと思っています。だから、世界中どこにでも、子供を連れて行きました。

    今でもお客さまに息子や孫を紹介すると「結婚されていたのですか!」と驚かれることがあります。

    でもこれを「売り物」にしているわけではないので、大々的に伝える必要はないのかな、と考えています。結婚していてもしていなくても、出産していてもしていなくても、私は私ですからね。(聞き手 石橋明日佳)

    (21)へ進む


    Recommend

    Biz Plus

    Recommend

    求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)

    求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)