1987年-喜多方が牽引! 極ウマ「ご当地ラーメン」の時代

官民が一体となり、ラーメンで町おこし&ブランディング

さて、ここで喜多方ラーメンの尊顔に迫ろう。バラ肉の煮豚が艶めかしいルックスで鎮座。チャーシューメンともなると麺が見えなくなるほどのチャーシューが表面を覆うが、デフォルトでも4~5枚のとろりとした煮豚が楽しめる。箸を使えば目にとまるのは、極太でややウェーブがかかった平打ち麺だ。ぷるぷると震える麺を噛みしめれば、モッチリとした歯応えが返ってきた。柔らかい食感にしてスープに良く絡み、ワンタンかと思うようなテクスチャーに思わず目を閉じる。

スープは澄んだ醤油味がメジャーだが、先述の通り『坂内食堂』は豚骨ベースの塩味が基本であり、必ずしも醤油系で規格化されているわけではない。やはり、喜多方ラーメンのフォーマットの一つは「麺」だろう。喜多方では麺幅が約4mm程度の麺が多く、「多加水熟成」製法でつくられる。これは水分の含有率を高めて食感を滑らかに。生地を寝かせることでグルテンを形成し、モッチモチの歯応えを強化するものだ。

この麺の独自性をたどれば、潘欽星が創始した『源来軒』に行き当たる。潘が採用したのは青竹を使って麺生地を延ばしていく「桿麺(打麺)」という製法だ。麺は一つひとつ手で揉み、縮れをつけた。当初はかん水が入手困難だったため、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)でコシを出していたという。屋台時代はそこまで太くなかったそうだが、店舗を構えて遠方への出前が増えてから麺は次第に太くなっていった。

自動車、バイクの普及以前は、出前の配達で時間を要するのが避けられなかった。そこで、麺がのびにくくなるよう、茹で前に力を入れて麺をひと揉み。これによって麺の中の空気を減らし、密度を高める工夫をしたのだ。裸一貫で中国からやってきた潘がようやく店舗を持てた喜び、客においしい麺を届けたいという熱意が、麺のひと揉みひと揉みにこめられたのだろう。喜多方ラーメンが全国的に知られる中、潘は後継者の育成に尽力し続けた。『源来軒』で学び、腕を磨いた職人は100人以上に及ぶという。

ただ、80年代に打ち上げられた「地方の時代」という花火も今や昔。近年の地方都市は少子高齢化による人口減少、モータリゼーションの進展による市街地の空洞化で衰退に苦しむ。喜多方市も例外ではなく、1955年には8万人を越えた人口も現在は4万5000人に減少。厳しい情勢に直面しているのは言うまでもない。

しかし、歴史を振り返れば長きに渡った雌伏の時があり、特徴に目を向ければ焦らずじっくり熟成させて仕上げる「麺」がある。いわゆる「B級グルメ」として安易に消費されない、強靭なコシがある。喜多方老麺会という運動体がたゆみなく進み続ける中、東北の一隅で今なお静かに刃を研ぎ続ける--それが喜多方ラーメンの本分なのである。

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